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立命館卒・中学歴発達障害者の学歴コンプレックス

学生時代はほとんど気にしていなかったのに、社会人になってから私は学歴コンプレックスを抱えている。

本当は認めたくないのだが、自分と向き合うことにした。

私は地元の自称進学校を卒業したあと、立命館大学に進学した。

同じようにコンプレックスを抱えている方とか、受験業界の方とか、あるいは人事の方でもなければ気にも留めないと思うが、これがまたなんとも微妙な立ち位置の学校なのである。

偏差値はだいたい60前後。合格時はそこそこいい大学に受かったつもりでいたものの、京都には京大や同志社をはじめとするもっといい大学がけっこうあるし、東京のMARCHと比べると、やはり関関同立はレベルが若干落ちる。

2ちゃん基準だとMARCH以下は低学歴扱いされるものの、ネットが国民の総意ではない。日本の大学進学率は50%程度のため、そこから考えると実は日東駒専レベルで十分高学歴なのだという言説も見かけたことがある。だが、一般的に見て我が母校は、「高学歴と呼ばれる下限ギリギリ」に属しているのではないか、と感じる。

最難関クラスの大学卒だと、「高学歴」だと胸を張って言えると思うが、どうにも高学歴とされる大学群の中では底辺で、かといって低学歴と呼ぶには少し入試が難しすぎる、いわば「中学歴」な我が母校。(これに似た感覚はどうやら関関同立の他の大学卒の方も持っているらしい。先日お会いできた)

一方で、意外と愛校心も持っている。OBのプロ野球選手を応援したりとか、校友会誌を毎回しっかり読んだりとか。だからややこしい。なんだかんだ、私にとって楽しい思い出のある母校なのだ。京都という歴史的価値のある街で学生時代を過ごせたことは誇りでもある。遊んでばかりしかいなかったけれど、ソフトボールサークルでキャプテンを務めるという貴重な経験をさせてもらった場でもある。

前述のとおり、学生時代はそんなに学歴のことを気にしていなかった私が、学歴社会をまざまざと見せつけられたのは、3社目だった。

この会社の人達がすごかった。コンサルが母体となっており、私はグループの税理士法人にいた。公認会計士などの難関資格を取得している方が大多数で、当然のように京大やら慶應やら一橋やらの人達がゴロゴロいるし、資格を持っていない方でもMARCH以上が当たり前であった。

大阪のオフィスで働いていたので、周りは関関同立もけっこういた(むしろボリュームゾーン)が、それまでの会社で高学歴扱いされてきた私にとっては、ギャップの連続だった。

そこでバカにされたとかでは全然ない。ただ、学歴社会の現実を知って、打ちのめされた感がある。「難関資格を取得し、日本を動かせる仕事をできるのは、たった一握りの高学歴の人達なのだ」、と。
私の大学近くを訪れた慶應卒の社長に、「君の大学は綺麗でいいところだね」と褒められても、嫌味にしか聞こえなかった。(そういう意図はなく、本当に単純に景観を褒めてくれたんだと今となっては思う)

また、直属の上司は、高校もバリバリの進学校で、関西の難関国立大学を出ている公認会計士だった。その人が、たまたま見ていた他の税理士法人のHPのスタッフ紹介で、専門卒の人を目にして嘲笑しながら言った言葉が忘れられない。
「大学くらい出ろよ」

あのとき、上司に合わせて笑ってしまったけど、今は考えが違う。この上司も進学校を経ていい大学に行って難関資格を活かして仕事してきて、ある意味狭い世界に生きている人なんだと思う。

たしかにお金ばかり取って役に立たない授業をする専門学校を良いとは思わないし、そこに行くのも賢い選択ではないと思う。

しかし、専門学校などでしっかり仕事に役立つ専門性を身につけて活躍している人は世の中にごまんといる。たとえば看護師さんや、調理師さんとか、エンジニアの方とか。逆に言うと、私は大卒だが文学部卒で学業と全く関係ない仕事をしていたので、大学での勉強が役立ったと思うことはあまりない。(文章を書くときぐらい?)

そういう人に、人生の中で絶対お世話になっているはずなのだ。そんなことを言うなら病院で専門卒の看護師さんから治療を拒否されたらいい。皆が皆、偏差値を軸にして生きていないのだ。

(この上司がお客さんのことをアスペだアスペだと悪く言っていて、ガチアスペ診断後クローズで勤務していた私が流れ弾で傷ついたのはまた別のお話)

数年前、理系で関関同立クラスの大学卒の方とお話する機会があった。すると理系は文系よりあからさまで、自分より偏差値が下のレベルの大学では自分たちが半年でやることを1年かけてやり、逆に上の大学では自分たちが1年かけてやることを半年でやるという。文系では研究範囲が多彩なせいか、学歴による差をそんなに明確に感じたことがない。韓国で開催された学会に参加したこともあるが、下の大学とうちの大学でさほど発表内容に差はなかったように思う。

あるいは、私の抱えるコンプレックスは、「大学でしっかり勉強せず、仕事でも大学で学んだことを活かせていない」コンプレックスかもしれない。高校生の私は特に就きたい仕事がなかったため、やりたい勉強を取って文学部を選んだ。文学部では、研究内容を仕事に活かせる人はごく少数で、大半は関係のない営業職や事務職に就く。そしてやりたい勉強で選んだわりに、卒業論文をしっかり書けなかったことを後悔している。ゼミに友達がいなかったのと、発達特性からか、担当教授に随時相談しながら書くのだということを知らなかった。ゆるい先生だったので、提出期限ギリギリで1回だけ相談に行って許されたが。また、就活がなかなか終わらず卒論に時間をかけられなかった。もっと先生に勧められた本をたくさん読むとかして研究したかった。この悔しさはどこかで晴らしたいとずっと思っている。

今の記憶を持って受験をやり直すなら、楽しそうで学歴も見栄えの良い慶應SFC、あるいは早慶MARCHあたりの経済学部や経営学部、商学部を目指すだろう。中央大の商学部会計学科なんかは今の興味にドンピシャだと思う。高校生の私は、理系科目が壊滅的にできなかったのに、地方の「自称進」にありがちな、過激派国公立第一主義の雰囲気的に理系科目を捨てられなかったが、今となっては文系科目にフルコミットすればよかったと感じる。(当時の私はMARCHも狙えるレベルであったが、東京に住むのが怖くてちょうど良さそうな京都を選んだ。当時のメンタルで東京住んでも病みそうだし、その選択は悪くなかったとは思っている)

ただ、あくまでそれは少し社会人をやってみて、仕事にしたいことと学びたいことの交差点が見えたからだ。田舎の高校生の私にわかるわけない。ただ、欲を言えばもっといろいろな職業の情報とか、簿記に触れる機会とか欲しかったなぁ、と。

学歴、自分では気にしているけれども、それを他の人には押しつけないようにしている。再度言うが、皆が皆偏差値を軸に生きているわけではないから。

(以前とあるイベントで京都の大学卒だという人がいて、やんわりとどのへんの場所かを聞きたかったのに、テンションが上がり「どこですか?!」と直接的に聞いてしまい、その人に大学名を出させてしまって私が学歴マウントを取った、みたいな形になってしまったことを深く反省している。あのときはすみませんでした)

(旦那は自称「Fランの下みたいな大学卒」だが、ちゃんと人柄で選んだ)

学歴とかより、その人個別の頑張ってきたこと・頑張っていることで人を見るようにしたい。それが目標というか、現時点で見えているこのコンプレックスを落ち着ける着地点だ。

付け加えるならば、荒療治だけど、私自身が士業資格を取ることで和らぐ気もする。そもそも、私は勉強しかできなかった人間で、今も勉強ができないと自分に価値がないと思い込んでしまう癖がある。本当に取ることができれば、それも含めて乗り越えられるのだろう。
あるいは納得のいく出来でなかった卒論を、在野研究者としてリベンジし、論文を書き直す。本当はロシア文学の作品内における歴史的・時代的背景を研究テーマにしたかった。「卒論をやり直す」ことでも、私の心の引っかかりは癒されるような気がしている。こちらの方が現実的だ。

だがしかし、療養中の身、あまり自分を追い込みすぎるのはメンタルと身体に良くない。資格取得や論文発表を目指しつつも、「なにもできなくても自分はこの世の中にいていい存在だ」という思考を身につけるのが理想だ。平たく言えばそれが自己肯定感なんだろう、流行りすぎてて言いたくないけど。向上心を持ちつつ、現状の自分を認めてやりたいものだ。

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