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愛知万博から見た大阪万博のナンセンス

2005年の愛知万博との相違点

愛知万博の特徴

立候補前の構想の段階で規模の縮小が検討されてきた

環境への配慮から、会場候補地である海上(かいしょ)地区の自然環境破壊に対して批判がなされていました。
また、市民や非営利団体・非政府組織などが、計画立案や運営に参加できるようにしたのが一つの特徴と言えます。
これらの多くは元々は反対派の組織だったのですから、この人たちから譲歩を得られるような対話が重ねられて開催にこぎ着けたというのが、過程の上で大きいでしょう。

愛知万博では、会場候補地の海上の森の自然保護か開発かをめぐる議論など、開催に至るさまざまな経緯を通じて、市民参加の重要性が高まった。
また、自然の叡智というテーマから、自然との共存の方法と生活の智恵を共有し、世界大交流をするといったテーマから、市民参加による万博構想の策定、運営を志向することとなった。
これをうけて開催前からさまざまな形の市民参加事業が行われた。

21世紀の万博像としての在り方

このようなあり方を採ったのは他でもない従来型の万博というものが限界に達したものだったからで、その前に行われたハノーバー万博も失敗に終わっていたためです。

なぜ愛知万博は成功したと言えるのか

愛知万博は、構想から開催決定まで10年近くの年月を要し、この間に会場予定地の選定などをめぐり「開発型」から「環境保全型」へと万博を取り巻く情勢が大きく変わったため、最終的な開催計画のBIE総会での承認(「登録」)までに紆余曲折があった。この間BIEからも一時期「従来の開発型の万博である。」との厳しい批判を受け、最終的には主会場が海上(かいしょ)地区から愛知青少年公園へと変更となった。しかし、登録後は、BIEはこの愛知万博に「新しい時代の国際博覧会のモデル」として期待をした。期待や評価に転じた理由として、誘致から登録までの間に「環境への配慮」や「国際博覧会の開催意義」をめぐる下記の点が挙げられた。

1.市民やBIEの意見を聞き、時代に合った強いテーマ性(テーマ発信性)の確保を行った
2.環境保全に万全を期した会場の設計と建設を行うと共に、会場建設時から会期中、撤去に至るまで廃棄物のリデュースリユースリサイクル3R)の努力をした
3.誘致から会期にいたるまで産学官民の連携、特に市民参加型の運営・展示を行った
4.環境配慮と経済性(採算性)の両立についても努力した
5.大きな事故が無かったこと

BIEはその期待に応えたものとして、会期中の2005年6月に開催された総会において「“祝意と賛辞”宣言」を決議している。このような決議は1928年にBIEが誕生して以来初めてのことであった。また、中日新聞は、BIEのロセルタレス事務局長が2006年6月にパリのBIE事務局で日本政府関係者と懇談し「この博覧会は最悪の状況で始まり、最高の結果になった。海上の森を破壊して会場を造成する当初計画に市民団体が抗議した。誰もが悲観的になったが、市民団体に加え、学識者、自治体を加えた対話が非常に誠実に行われ、ポジティブな変化を遂げた」と評価したことを報じている。

(1970年の)大阪万博と比較すると、愛知万博は形式的には旧条約による「特別博」であり、旧条約の一般博である大阪万博とは区分が異なるものの、「“自然の叡智”」というテーマの総合性などから実質的・内容的には旧条約の一般博に相当する総合的な国際博覧会であると言える(政府は、今までの特別博とは違い、複数の分野を取り上げる総合的な博覧会であると説明している。

(※太字部分は補足で一部加筆)

https://ja.wikipedia.org/wiki/2005%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A#2005%E5%B9%B4%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8D%9A%E8%A6%A7%E4%BC%9A%E3%81%AE%E4%BD%8D%E7%BD%AE%E4%BB%98%E3%81%91%E3%81%A8%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E7%9A%84%E3%81%AA%E8%A9%95%E4%BE%A1

上記の点からBIEからしても「“祝意と賛辞”宣言」を決議したことから過去最高の成功だったと受け取ってもいいでしょう。
何より反対者との対話の末、建設的な結果に至ったという側面は万博に限ったことではなく、今後政治など他の事でも活かせるのではないかと言えるほどの大きな収穫と言えます。

一方で今回の大阪万博はどうなのか

中身は「20世紀の遺物」と言うべき「開発型」の博覧会

ここが愛知万博とは決定的に違うところです。
大枠の構想は万博自体を稼ぐためのイベントと位置付けられ、跡地利用も巨大開発が前提です。
特にカジノを中核としたIRを誘致するという地に足の付かない構想です。
また20世紀の遺物というべき開発型の万博構想に戻ってしまったのが構想段階でダメな所ではないでしょうか。

議論なき拙速な意思決定

先述の通り、愛知万博の開催に至るまでは反対派やNGO団体などとの議論もあり、構想、計画、跡地利用のあり方等あらゆる方向で時間をかけて議論を重ねて詰めてきたものです。

しかし、今回の大阪万博では先述の5項目について検討された形跡は全く見られません。
時間の掛かる議論を避けることで醸し出す「スピード感」が自慢の大阪維新スタイルで物事が拙速に決まっているように思えます。

無鉄砲すぎる会場計画

夢洲地域は地盤が脆弱でそもそもパビリオンが建つのかどうかも怪しいところです。
しかも、その跡地にカジノやらホテルやらタワーマンションとかいった巨大建造物を建てようという計画、どう見ても無謀です。

交通インフラも脆弱で、会場に接続している道路も限られ、2000台のシャトルバスで輸送するとは言いますが、道路がパンクして大渋滞間違いないでしょうね。
下水処理関係もできておらずトイレの問題もでてくるでしょう。

退行した万博を開催することに意義があるのか

やはり20年前に開催された愛知万博と比べても質的に大きく劣る上に、旧来型の開発型万博に退行するという意味では、開催する意義があるようにも思えません。
どう考えても20年前よりレベルダウンじゃ、話にならないでしょう。
期間的にそれ以上のものを練り上げる期間も吉村知事を筆頭とした大阪のトップ層にもその知恵はないでしょう。
そうであれば、中止していだだくしかないと思います。
こういうプロセスも含めた中身で愛知万博を超えられるようなものが構想できない限り、もうやらなくてもいいのではないかとも思います。

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