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だいたいみんないっしょ

6月6日…ということに気づくと、ドラえもん絵描き歌を思い出してしまいます。しかしあっという間に今年も折り返しですね。びっくりです。

私は企画から取材執筆、撮影、デザイン、といろいろするのですけれども、そのうち現場で行うのは取材と撮影です。ここで取材対象の話を聞くことと、姿を映すこと、現場で直接取材対象に会い、深掘りして捉えるわけです。

そして、それらの素材を後工程の執筆、写真のレタッチで読みやすく、より美しく加工して、さらに街に設置したときに目を引くように、冊子を開いたときにはっとするようにデザインしたり組版したりしていきます。

かなり、後工程が多いのですよね。

取材対象の本質の一部と、言いたいことの一部、私たちが伝えたいことにフォーカスして伝えればいいのであって、その人から聞いたことをそのままに伝えているわけではありません。

そうして加工しなければ、伝えたいことが伝わらない。読者に感動を与えることはできないのですよね。

でも、事実を変えて伝えていない限り、それはうそではないのです。うそになっていないかどうか、必ず取材対象に確認を取ります。

(確認を取らない媒体もありますが、弊社は行います)

ですから、加工して出したところで、それは事実なんですね。好意的に伝えるのなら、加工していい部分を見てもらったほうがいい。

多くの人を取材してきて思うのは、大抵の場合、別の一人の人間から見たときに、合うところ、合わないところ(別の人間からして、いいところと悪いところ)は半々だし、タイミングによってそれが長所に思えたり短所に主足りするし、総じて「みんないっしょ」だと思うんですよ。それは、家族だろうと知らない人だろうと変わらないんです。

だから、普段の暮らしでも、相手が近しい人だったとしても、基本は表面だけ見ていればいいと思うんですよ。例えば子どもなら、特に逸脱したところがあるのではないなら「よく育ったか、悪く育ったか」みたいな判断をしたり、悩んだりする必要はない。

「いいところもあるし悪いところもある」なら、みんな一緒、普通。

ようは、いいとか悪いとかは「こっち側」の問題で、どちらかというと取材をして「いい人」として記事を世に出すときのように、その人の「いいところ」にフォーカスして見てればオッケーなんじゃないかな、と思っています。

原田あやめ


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