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人間が生きることを肯定したい・35「桜を見ると不安になる」

『風とわたしは同じものであり
火とわたしは同じものである
水とわたしは同じものであり
土とわたしは同じものである

飛ぶものよ 
這うものよ 
泳ぐものよ 
野をかけるものよ
わたしはあなたがたと同じものである

山よ 
空よ 
海よ 
わが同胞よ
わたしはあなたがたと同じものである

宇宙とわたしは同じものであり
天地一切の万物とわたしは同じものである

風は我が心
火は我が力
水は我が生命
土は我が愛

わかれよ 
わかれよ
慈しまれていることを・・・

思えよ 
思えよ
天と地の母の嘆きを・・・

目覚めよ 
目覚めよ

悟れよ 
悟れよ・・・』

美内すずえ著
白泉社文庫「ガラスの仮面23巻」より


「ガラスの仮面」をうっかり読み始めたら、
案の定やめられなくて
ついつい徹夜をしてしまった。

同じ経験をした人は多いと思う。
演じる天才である主人公のマヤとライバルの亜弓が、
幻の舞台「紅天女」の役をかけて様々なドラマを展開する・・・
それだけの物語なのだが、
とにかく面白くてやめられない。
作者は稀代のストーリーテラーである。

しょぼしょぼする目をこすりながら文庫の第22巻、
そして第23巻まで辿り着いたとき、
「そうだったのか!」と衝撃を受けた。

マヤと亜弓の師である月影千草が最後の命をふりしぼって、
ふたりに「紅天女」の舞台を見せる。
千草が演じる紅天女の台詞を聴いて、ようやく理解した。

作者は紅天女の声を人間に聴かせたかったのだ。
そのために、この長大なストーリーを紡いできたのだ。
なんというパワー。
なんという信念。
なんという作家魂。


『魂は生命となってあらわれ
生命はまた魂となってかくれゆく
産みだされてこのかた時はなく
わたしは永遠を旅する

人は我が姿見るにあらず
居るを知らず
万物に生命あるを知らず
万物の魂 
人の魂と同根なるを知らず
 
こざかしいおろかしい眠れる魂よ
天の響きに耳かたむけよ
大地の語るを聞け

風は我が心
火は我が力
水は我が生命
土は我が愛
 
真 紅千年の生命の花を咲かそうぞ』


『自然界は神の息吹に満ちておる・・・
風に神宿り
火に神宿り
水に神宿る
土に神宿り
岩に樹に神宿る
 
それらを司る神もおる・・・
この身に宿るももとは神ぞ・・・
人ももとは神なのじゃ

ほら!おまえさま
きこえませぬか この音楽が・・・!
すべての生命あるものは天と地の音楽によって
育まれゆきまする

心澄ませばいつもきこえてまいりまする・・・
天から地から・・・
速い音 
遅い音 
高い音 
低い音・・・
つぎつぎと天から降りそそぎ
地から生まれくる神の息吹の音楽が・・・

降りそそぎ生まれくる
降りそそぎ生まれくる・・・
美しい音・・・

ここは音楽の満ちる郷・・・
目にはみえぬ音の粒子が
光となって混ざりあい
はじけあい
とけこみあって美しい輪となり
金色の波となってあたり一面響きわたってゆきまする・・・
山へ 
森へ 
野へ 
里へ・・・
ここは音楽の満ちる郷・・・

ほら・・・!きこえませぬか?
生命を育てる音楽のたえまなく鳴り響くのを・・・』
 

『人というものはつまらぬものじゃ
本当に大事なものがなにもみえてはおらぬ
己の命も人の命もなぜそう粗末にする

髪の毛一本 
爪一枚
己で造ったものはなにひとつなかろうに

手も足も
体を流れる赤い血でさえ
自分で造ったおぼえはなかろうが

我らのこの身はいったい誰が造りたもうたのか?
この身は我らのものであって
我らのものでない
我らはこの身に宿るもの

この身を傷つけることがどれほど大きな罪かわからぬか?
ましてやひとの身を傷つけることがどれほど深い罪かわからぬか?

山や川や森や空は誰が造った?
木や草や鹿やきつねは誰が造った?
鳥や虫や魚は誰が造ったのじゃ?
空に輝くあの太陽は誰が造ったのじゃ?

我らとて同じこと
同じものから生まれしものぞ』

私は、桜が咲き誇る季節になると、
嬉しいのと同時に、なぜか不安になる。
胸がざわめく。

空を覆うピンク色、
風に舞う花けぶり、
闇に浮かび上がる艶やかな立ち姿、
川面を点々と流れる花びら。
それが美しいので、
あまりに美しいので、
私は不安になる。

なぜ純粋に楽しめないのだろう。
どうして不安になるのだろう。

不安・・・この言葉は正確でないかもしれない。

途方もない・・・そう、途方もない気持ちといったほうがよい。
果てのない宇宙に、ぽんとひとり、投げ出されたような。

神さまが創るものの美しさ。
それにうちのめされる。

一枝の桜を手にするだけで思い知るのだ。
途方もないほど美しい世界に生を受けていながら、
自分がその美しさの一片さえも、きちんと受けとめられていないことを。
桜が美しいことの本当の意味を、きっと私は知らない。

紅天女が嘆くのは、そのことなのだ。
神さまが私たちの目の前に差し出している世界、
風、火、水、土、草、花、空、太陽、そして動物、
それらはすべて「願い」だ。
受け止めきれないほどあふれんばかりに差し出される、
「生きろ」という「願い」だ。
それがなぜわからないのだ、
なぜ受けとらないのだ・・・と紅天女は嘆いている。
愚かなり、と。


日常を生きていると、
日常周りの悩みごとが頭を占める。
見えない糸が何重にも体を縛る。
縛られていることも意識できないほど、柔らかい糸が。

けれども、その糸は案外簡単にほどけるのだ。
たった一日、自分のために休みをとって、
少し遠くまで電車に乗る。
朝早く起きて、
好きなところへ行き、
暖かな日差しの中で
ひと気のない庭に咲いている花を見る。

「世界って広いんだなぁ」
「花がきれいだな」
「私が帰っても、この花は私の見ていないところで咲き続けるんだな」

そう思うと、ふっと体と心が自由になる。
安心する。

花に水をやる人を何気なく見ている。
目が合う。
その人はにこっと笑う。
花の名前を教えてくれる。

「優しいな」

そう思うと嬉しくなる。
わけもなく涙ぐむ。


桜を見ても、不安にならない私でいたい。
素直に「きれいだなぁ」としみじみできる私でいたい。
神さまが差し出す世界の美しさをきちんと受けとめたい。
そうやって生きることが、
最大にして唯一の
神さまへの「ありがとう」であるように思うから。

=====DEAR読者のみなさま=====

よしもとばななの「王国 その3 ひみつの花園」という本のテーマは
『自分が何に耐えられないのかを知りなさい』ということでした。

こんなふうに表現されています。

『そこには私にも変えられない
はっきりとした決まりがあった。
それが私が私であることの意味なんだな、と思った。
生まれてきた意味といってもおかしくはない。
冷徹なほどにはっきりしていることで、
一度でも嘘をつくといつかまた戻ってきてしまう、
魂の約束なのだ。』

「仕方がない」とどんなに言い聞かせても、
我慢ができないことってあります。
悲しくてみじめで、
熱いかたまりが自分の中から爆発して飛び出しそうになるのを
必死で抑えているような気持ちです。

でもきっとそれは、我慢してはいけないことなんだと思います。
魂の約束をやぶることを強いる環境にいるのであれば
自分でそこから逃げ出さなければいけないんです。


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