見出し画像

河合隼雄を学ぶ・22「日本人の心を解く~夢・神話・物語の深層へ~②」

第一章と第二章は、明恵や華厳宗を題材に、夢や自然(じねん)についての講義である。

大変難しいテーマなのだが、象徴的と思われるエピソードはこのようなものだ。

鎌倉時代、北条泰時は京都の六波羅探題となり、明恵に多大な影響を受け、明恵の世界観に基づく多くの大改革を行った。泰時は、明恵にどのように国を治めるのが良いかを尋ねたことがあり、それに対して明恵は、政治家たる者は、病の本当の原因を根絶させることで病を癒す良い医者のようでなくてはならないと答えた。日本における混乱の原因は欲なので、泰時がこれを治そうとするならば、自分自身の欲を断たねばならない、と。泰時は、たとえ自分が自分自身の欲望を捨てることができたとしても、他の人たちは欲にまみれたままにとどまるのではないかと疑念を示した。それに応えて明恵は、もしも泰時が本当に自分自身の欲を離れることができるならば、国中が自然に従うと言った。それは、自分の達成する状態は、世界の状態である、という思想である。泰時は実際に明恵の忠告を実現させようと努力したので、その後、変わらず高潔な政治家として称えられた。

このエピソードの中で、泰時が自分の欲望を断つと、どのように国民が欲望から離れるかについては、明恵は説明していない。個人とその世界との関係、ある人の性質が他者に及ぼす影響について、明恵は説明を与えていない。それを知りたいとき、明恵の忠告の基盤となっている華厳宗の教えを検討しなければならない。

「華厳経」において、全てのものはお互いに自由に相互浸透し合っている。この完全に相互的な浸透と透過は、「一塵のなかに無量の仏が入る」とよく言われる表現のなかに見事にとらえられている。

これは「縁起」の概念である。

「この世における何ものも、他のものから独立して存在しない。あらゆるものはその現象的な存在のために他のものに拠っている。全てのものは互いに連関しあっている。全てのものはお互いから由来している。従って、このような展望からすると宇宙は、多種多様で多面的に相互に関連し合った存在論的な出来事が密接に構造づけられた連鎖であるので、抹消部分での極小の変化ですら、他の全ての部分に影響せざるを得ないのである(1980年エラノス会議での井筒俊彦の華厳哲学の講義より)」

カオス理論における「バタフライ効果」を連想する人もいるだろう。華厳の「縁起」の真髄は、「全てのものの力動的、同時的、相互依存的な出現と存在」であると、河合隼雄は説明している。しかも、それは直線的な因果律には基づていない。となると、ユングの「シンクロニシティ」とも関係してくるような気がする。

一は全てであり、全ては一である。明恵はこの真理を悟っていたので、泰時が正しく振舞うならば、国中がそれに続くと忠告することができたのである。

このことについて、私は深く考えさせらた。「引き寄せの法則」と言われる類の本をたくさん読んできた。「サラとソロモン」という本の中に、「他の人のことは心配しなくていい。きみにとって大切なことはただ一つ、きみ自身の心の扉が開いている、ということだけだ」と忠告されるところがある。また、「私の観念のみが、私の世界を構築している」という考え方が、すべての「引き寄せの法則」に共通するところだろう。このことは、明恵が「泰時の観念のみが、泰時の願う世界を構築するのだ」と忠告したことと通じるように思う。どのように、ということは、人間の感知できるところにない。それは宇宙が知っている。それは神が知っている。それを信じろということである。

さて、人間も含めた全てが、自生的におのずから流れていくのならば、「自然(じねん)」の現実における人間の役割は何なのか、と河合隼雄は考察を進める。この問いを深く検討するために提示されているのが、宇治拾遺物語「わらしべ長者」の話である。

わらしべ長者となる若い侍は、基本的には受け身的に出来事を受け入れていくのだが、一回だけ、自分の意志で賭けにでる場面がある。この抜き差しならぬコミットが、この物語の「転回点」になっている、と河合隼雄はいう。

自分に「転回点」が訪れているというのは、どのようにしてわかるのだろうか。答えは明らかであると、河合隼雄はいう。「じねん」に従うのである。科学的・論理的に基準がある、という話ではない。「理由はない。説明できない。でも、『今』だとわかる」という瞬間は、私たちの人生にも訪れたことがあるのではないだろうか。「今、そうしなければならない」という、抜き差しならない気持ち、魂からのサインとでもいおうか。

河合隼雄は、物語を読むことを通じて、転回点への感受性を増すことができるかもしれないと考えていたようである。

「じねん」においては、あなたと私、人と自然、現実と空想などが自発的に流れていて、ありとあらゆる区別を超越している。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?