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人間が生きることを肯定したい・36「四国お遍路旅の記録・1~出会った人々、支えてくれた人々~」

『仏さまはお寺にいらっしゃるんじゃないんですよ。
仏さまはお寺からお寺への道中にいらっしゃるんです。
歩くことの苦しみ、出会う人との縁、
そして歩きながらあなたが見ること、感じること、
その中に仏さまがいらっしゃいます』

~四国で出会った方の言葉~
                 

7月10日から8月10日までの30日間、
四国お遍路の旅に出た。

電車やバスの力も借りながらの「準・歩き遍路」で通し打ち。
約10kgのリュックを背中に、
2kgのウェストポーチをお腹に。
家を出て、300mくらいで息がきれた。
暑い、暑い。
四国では、毎日平均20km歩かなくちゃならないのに!

「四国お遍路」とはそもそも何か。

その本質は、たった1回まわったくらいの私には到底語れない。
一般的な知識として知られているのは、
真言宗の開祖である弘法大師(空海)が開いたと伝えられている
四国八十八箇所のお寺をお参りしてまわることである。

弘法大師が苦行を重ねた霊地を訪ね、
少しでも大師の心に触れようとするのがお遍路の旅。

ただ、現世や死後の幸福のために功徳を積もうとした昔の遍路と比べ、
現在の人々が遍路に出る理由は実に様々である。
かくいう私も、「なぜ自分は遍路に出たのか?」という理由を
旅の間中、自分に問い続けることになった。


「四国お遍路旅の記録」として、
ひとつは「出会った人々、支えてくれた人々」という面、
ひとつは「心の変遷」という面から書こうと思う。


いよいよ明日からまわり始めるという日の夜、
私は徳島駅に近いビジネスホテルの一室で、
不安とワクワク気分を半分半分で抱えていた。

不安は主に体力。
普段は1kmに満たない距離でも平気でタクシーを使う私・・・。
重い荷物を背負い、炎天下の中、果たして歩き通せるのか?!

あとは四国の人々の目。
四国の人はお遍路さんに優しいってきくけど、本当かなぁ・・・。
白装束に輪袈裟、金剛杖に菅笠という格好で歩いている人って
本当にいるのかしら?ちょっと照れくさいなぁ・・・。

ワクワク気分は、未知の世界に足を踏み入れること。
四国は、普通に降り立てばただの「四国」だけれど、
遍路として歩き始めたとたん、
「お四国」という「曼荼羅宇宙」に変わるという。
遍路の心が生み出す異次元空間になるのだという。

それってどういう感覚?
何を感じるのかな?
何かが変わるかしら。
何かが分かるかしら・・・。

とにかく、辛くても、苦しいことがあっても、
絶対にくじけない!と心に誓った。


振り返ってみて言えるのは、
歩いている間は、旅の前に想像していたような
神聖な気分になるどころではなかったということ。

主に頭をめぐっていたのは、
「あと何キロ?あと何キロ?あと何メートル?」のくりかえし。
疲れ切って道端に座り込んでも、「・・・」
何も考えられない。
ある意味、無心。

特に山道はつらかった。
暑いのはまだ良し。
汗もあれだけしとどにかくと、かえって気にならない。
気になるのは蚊や虫の大群である。
まさに大群!
虫よけスプレーをものともせず、顔やら腕やら足やらに
わんさかと寄ってくる。
少し休みたくても、足をとめれば一斉に何十匹もの蚊のえじき!
歩くのに集中したくても、常に耳元で「ヴーーーン」という音!
しまいには「もう勘弁して~!」とべそをかきながら手をふりまわした。
あんまりつらいので「蚊も旅の道連れ・・・」と無理やり思い、
追いはらうのをあきらめ、気持ちを静めた。


それでも、旅の最後のほうで出会った方が言っていた、

「仏さまはお寺にいらっしゃるんじゃないんですよ。
仏さまはお寺からお寺への道中にいらっしゃるんです。
歩くことの苦しみ、出会う人との縁、
そして歩きながらあなたが見ること、感じること、
その中に仏さまがいらっしゃいます」

という言葉を、私は深い実感をもって受けとめていた。

「出会う人との縁」・・・これを思い返せばきりがない。
どれだけの人に助けられただろうか。

遍路の旅路である四国には、
「お接待」という文化がある。

遍路は「弘法大師の化身」として、
四国の方から様々な「お接待」を受ける。

それは遍路への「施し」や「励まし」であるのと同時に
「私の代わりにお参りをしてきてください」という
「寄託」でもあるので、絶対に断ってはならないものだという。
「お接待」の文化は、事前に本で読んだので知っていたが、
旅に出る前は「本当かなぁ?私も受けることがあるのかなぁ?」
くらいに考えていた。

ところが、いざまわり始めたら、なんとなんと
本当に次々と声をかけられる。

「プチトマト冷えてるよ、いくつかとっていきなさい」
「待って待って、ヤクルトあげましょう」
「どこまで行くの?よければ車で送ってあげるよ」
「暑いのにようがんばるのぅ。功徳はきっと倍じゃよ」
「アイスクリン、食べていかん?」
「近くまで来たらここに電話しなさい。泊めてあげるから」
「お茶がはいってますよ。休憩してください」
「道に迷うたん?じゃあ一緒に行ってあげる」
「はい、アクエリアス。水分はようとらんとねぇ」
「おせんべい、荷物が増えてわるいけど」

「お賽銭にでもしてください」と500円や千円の
お金を渡されたことも一度や二度ではない。

大きなトラックが私を追い抜いたのに、
先の道で急停車し、作業着のおじさんが荒々しく出てきた。
何かと思って立ち尽くしていると、
走って戻ってきてアメ玉の袋を渡されたこともある。

お寺の門前のタオルやさんが、
白いタオルに「スローガン」を縫ってくれたときは感動した。
つらくなったら、自分で決めたこの「スローガン」を見て
がんばりなさいよ、と言ってくれた。

暑い盛りで、私の他にはほとんど歩き遍路が見当たらないこともあったのだろう。
声はかけられなくても、ふと気がつくと
すれ違う人や道の向こうの人が
このうえなく優しい目で私を見ている。
目が合えば静かに目礼をしてくれる。
ヘルメットをかぶった自転車の小学生たちが
すれ違いざま元気に「こんにちはー!」と挨拶をしてくれる。

声をかけてくれるのはだいたい年配の方だったが、
一度だけ、若い人たちに声をかけられた。

最古の温泉と言われる「道後温泉」で休憩をしようとしたときだ。
道後温泉本館の前で突然、
若いカップルに「一緒に写真を撮ってください」と言われた。
汗だくの体、真っ赤に火照った顔、こんなヨレヨレの私と??
「私ですか?私でいいんですか?」と何回も聞いてしまった。
男性のほうが「ぼくも2年前、歩き遍路したんですよー」と
親しげな笑みで言った。
女の子と一緒にピースで写真に映りながら、
若い人たちに声をかけてもらったことが、なぜかとても嬉しかった。

東京で暮らす私には、
知らない人が声をかけてくれること自体が
驚きであり、喜びだった。

さらに驚くのは、それらの親切がすべて「自然」であることだ。
まったく恩着せがましいところがない。
倒れている椅子をひょいと起こすように、
四国の人はごく自然に遍路にお接待をしてくれる。

中でも、一番お世話になったご夫婦がいる。

その日は梅雨があけず、篠突くような大雨だった。
リュックのうえからポンチョをかぶり、
巨大なテルテル坊主のような私に、
お寺で声をかけてくれた。
自分たちも車でお寺をまわるから、乗っていけと言う。

始めは断ったのだが、
この雨の中、この先10kmの峠越えは危ないので
どうしても乗っていけと重ねて言われ、
お言葉に甘えることにした。

車の中では、落ちていたのを助けたというスズメが
ちゅんちゅんと飛び回っている。

結局そのご夫婦は、
その日まわる予定だったお寺に全部連れて行ってくれたばかりか、
途中で抹茶のソフトクリームを買ってくれて、
お昼をごちそうしてくれて、
さらには宿に入れる時間まで、
近くの歴史文化博物館を見学させてくれた。

次の日の電車の時間を調べなくちゃいけない、と私が言えば
宿に送る前に駅へ立ち寄ってくれた。

そのすべてが、まるで本当の孫を案内しているかのように自然で、
自分たちが楽しんでいるようなのだ。

宿の前に私を降ろすと、窓から手を振って車は走り去った。
遠くで車が曲がって見えなくなるまで、
私は手を合わせて頭を下げていた。

「仏さまのような方々に会った」
その日の日記にはそう書いてある。


また、支えてくれたのは四国の方々ばかりではない。
送り出してくれた東京の友人たちは、
心配して、旅のあいだ何度もメールをくれた。
次のような「事件」まであった。

私は宿泊予定の宿には、前日に必ず確認の電話をいれていた。
その日も次の日の宿に電話をすると、
元気な女将さんが出て
「あぁ、荷物送るって連絡くれた子やね?」と言う。

「いえ、荷物は背負って行くので送りません・・・。
どなたか別のお客さんでは?」と返すと、

「いや、明日のお客さんはあなただけなの。
確かに電話もらったんやけどなぁ」と女将さんはいぶかしげ。

双方「?」のまま、
「まぁ予約はちゃんととれてますから」
ということで電話を切った。

次の日、宿の部屋に入ったとき、謎が解けた。

友人が差し入れをその宿宛に送ってくれていたのだ。
友人はわざわざ私の自宅に電話をし、
荷物到着日に私が泊まる予定の宿を確かめ、
宿にその差し入れを預かっておいてくれるよう、
電話でお願いをしていたのだ。

小さな包みを手にした瞬間、
涙が次から次へとあふれてきた。

「私も同じ空を見上げて、ドキドキしながら応援しているよ」

と言っていたその友人の言葉が実感として包みから伝わり、
ひとりなのをいいことに、子どもみたいに泣いた。

いま思えば、あんなに泣いたのは、
旅も半分を過ぎて緊張と疲れが徐々にほぐれ、余裕が出てきたところに、
友人の優しさにとどめをさされ、何かが一気に緩んだのだと思う。


そうそう、励ましてくれたのは、人だけではない。
歩いていたからこそ見えたもの。

道端に小さく咲いている花、
田んぼの中でたたずんでいる首の長い鳥、
珍しそうにこちらを見ている犬、
堀の中で大音響で鳴いているカエル、
境内でよれよれ靴下のように伸びきって寝ている猫、
私と同じ速さで川を渡っている白い鳥、
道を挟んでじっと見つめ合ったヤギの親子、
風にそよぐ真緑の稲穂、その上を渡っていく陽の光、
あぜ道の向こうで私を待つ竹やぶの闇、
お寺のベンチで見上げる梅雨明けの青空、
汗でぬれた前髪を吹き抜けていく涼しい風、
無人の駅からのびる線路、
山頂から眺める街の景色、
瀬戸内海に沈んでいく桃色の夕陽、
雲に溶けていく山々の稜線・・・。

ひとりで歩いていても、
ちっともひとりきりだという気がしなかった。

花も犬も鳥も、私を励まそうなんていう気はまったくない。
でも励まされてしまう。
そこにいてくれるだけで嬉しかったものたち。


しかし、一番心の支えだったのは、
父と母だったような気がする。

結願前夜。
宿の女将さんが、
夕食を食べ終わった私の横に正座をして言った。

「無事、結願して帰ったらね、
まずお父さんとお母さんに『ありがとう』って言いなさいよ。
旅に出してくれてありがとうって。
歩ける足をくれたのは、お父さんとお母さんだからね」

向き合って正座をした私は、「はい」と言った。
なぜかしら涙があふれてしまった。

両親への感謝は旅の途中に何度となく感じていた。
それを何百人もの遍路を見守り続けてきた優しい女将さんに
改まって言われると、胸にこみあげてくるものがあった。

一番苦しかったとき、
「助けて。次の一歩を踏み出す力をください」とお願いしていたのは、
仏さまでもお大師さまでもなく、パパとママだった。
恥ずかしいけれど。

私がほの暗い山の中で次の一歩を踏み出せず、
荒い息をしているその瞬間、
母は本でその山をなぞりながら、私が大丈夫か心配しているだろう。
そのことを知っているから、その気持ちが力になると信じられた。


境内の木陰になっている石段に腰かけ、
何もせず、
先も急がず、
じっと風に吹かれていると、
生きてここにいることをありがたいなぁとしみじみ思う。

自分の力ではなくて、みんなのおかげでここにいるんだなぁ、と。

水や空気や食物が、
私の細胞を一秒ごとに新しく生まれ変わらせる。

こわいこと、不安なことは考え始めればきりがないけど、
これから先も、きっと生きていけると思う。


その瞬間の心の充実を、
鏡のような心の静寂を、
忘れないでいたいと切に願った。


「ありがとうございます」

何度も、何度も。
こんなにも心から伝えたい。
その言葉のまま、まっすぐに。

「ありがとうございます」

ちゃんと言えたかな。
伝わったかな。
あの方に。あの空に。あの山に。あの花に。

この胸に満ちていく温かな思い。

「ありがとうございます」

伝わってほしい。
心から。

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※これは20代の頃に発信したメールマガジンですが、noteにて再発行させていただきたく、UPしています。

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