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人間が生きることを肯定したい・29「オリジン」

『その答えを求め続けると
気のふれる問いがある

自分は何故ここにいるのか
何処より来たりて
何処へ向かうのか・・・』

水樹和佳子著 ハヤカワ文庫
「イティハーサ」第1巻冒頭より


私は書けるのか。
書くべきものを持っているのか。
私でなくては書けないものがあるのか。
この問いが私から離れたことはない。

新井素子の「ハッピー・バースディ」という小説の中に、
こんな表現がある。
「文章を書くことに淫している」
このことを作中では、次のように描写している。

『例えば、日記なんか書くのが、とっても好き。
それも、”今日は何か楽しいことがあったから、
あるいは是非記録しておきたいことがあったから日記を書く”んじゃなくて、
”現実にあったことはどうでもよくて、
ただ文章を、日記っていう文章を書いているのが
好きで好きでしょうがない”ってタイプ。
別に日記じゃなくてもいいから、
紙の上に字を書いているのが好きで好きでたまらないってタイプ』

『あいつはね、小説を書かざるを得ない人間なんですよ。
編集、長いことやってると判るでしょ?
世の中には、”小説を書く”しかない人間がいる。
確かにいる。
それは”才能”云々って問題じゃなくて・・・
ほっときゃそいつは、犯罪者だの禁治産者だのになっちまう、
そうならない為に小説を書くしかない、そんな人間が』


あふれるように、
こぼれるように、
湯水のように、
とどめようもなく、
キラキラ光る言葉が生まれる。
もしくはネトネト離れない言葉が。

十行に満たない文章でも、誰が作者かわかってしまう、
”華”と”毒”のある文章・・・。

その文章に意味があろうがなかろうが、
書くことは呼吸すること。
そういうタイプのモノ書きがいる。

新井素子自身が間違えなくそういうタイプの作家だと思うのだが、
そういう存在が私はこわい。
逆立ちしてもかなわないと思うから、こわい。
こわくてうらやましくて、
でもそうでない自分に少しだけホッとしていたりして。

そう、私は決して「文章を書くことに淫する」タイプではないのだ。

私という人間は本当に「普通」。
天才でもないし、繊細でもない。
美しくもないし、醜くもない。
ナニモノでもない。
良い意味でも、悪い意味でも。

でも不可解なことに、
天から与えられたワークは「書くこと」だろうと、確信している。
ひらがなを書けるようになるが早いか、
真っ白なページにものがたりを書いていた。
書くことが好きだった。

「好き」というならば、
大勢の友達と笑っているのも好きだし、
社会や組織の中で働いている自分も好きだし、
素敵な洋服を着てみるのも好きだし、
遊園地とか、ダイビングとか、旅行とか、映画とか、
世の中で楽しいと言われていることはだいたい人並み以上に楽しめるし、
比較的環境に順応しやすい性質だといえる。

なのに、
執着するのは「書くこと」だけだ。

私は、書くこと以外でも(なんとか)自分を表現できる。
書くことで自分を浄化できなくても(たぶん)生きていける。
でも「伝えたい」というこのあふれるような思いを、
書くこと以外で表現する手段を、考えたこともない。
それはもう、仕方がない。

そこで、始めの問いに帰ってきてしまう。
私は書けるのか。
書くべきものを持っているのか。
私でなくては書けないものがあるのか。

そんな問いにとりつかれてしまうのは、
自分のしているのことの「意味」や「価値」を
必要以上に考えすぎている証拠だとは思うのだが・・・。

そんなとき、
多くのライター志望者の信頼を集めている村松恒平氏の
「プロ編集者による文章上達<秘伝>スクール」というメールマガジンで、
こんな指摘に出会った。


『「あらゆる人は自らの軌道と運命を持った星である」

(中略)
オリジンというときには、
いつも僕はこの言葉を思っています。
人間の魂の中のそのまた中心の一点、
それは自らの軌道と運命を持った孤独に輝く星なのです。

広大な宇宙の一点である星は、
他者と同じであることもぶつかることもありません。
ただ自らの軌道を行くだけです。

オリジナリティとは、本来、僕はそれぐらい絶対的で、
完全なものでありうると思っています。

そして、自分本来の存在に帰ろうとする衝動もまた、
オリジナリティと呼んでいいものだろうと思います。

(中略)
だから、オリジナリティを得るということは、
とても簡単でもあるし、難しくもある。
だって、オリジナリティは作り出さなくてもあるんだから。
こだわりなく素直に物事を見つめ、
それを書くことができたら、
そこにはもうオリジナリティは発揮されていると言えるでしょう。』


私の奥の奥の一番奥には、何があるのだろう。
どこに辿りつくのだろう。
どこに繋がっているんだろう。

無意識の、
そのまたもっと奥だ。
たった一点であり、全てでもある場所だ。

孤独に輝く星。
私のオリジン。
私の起源。
私が内包しているリズム。
私が内包している神さま。

そこに一瞬触れて、
瞬間冷凍して、
表面に引っぱりあげて、
後天的な「今の自分」という熱で少しずつ溶かしながら生まれてくる言葉たち。

それが私にしか書けないもの。
私が書くべきもの。
そうなのだろうか。

第16号で書いたことを思い出す。
「愛は私の胸の中」
その言葉を。
自分の胸の引出しの中の、小さな赤い花を。

=====DEAR読者のみなさま=====

真実、書きたいものを書くためには、
人間として、
透明に、透明に、透明にならなければいけないんだろうなぁ・・・。

自分は、自らの軌道と運命を持った孤独に輝く星。
そう信じなければ、前に進めないときがありますね。


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