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七夕2024朝のつぶやき

西日本豪雨から6年。甲府空襲から79年。晴天の岡山の片隅で、昨日の夕飯の残りを食べる、穏やかな朝。


・あなたが人生に絶望しようとも、人生があなたに絶望することはない。何かや、誰かのために、できることはある。時があなたを待っている。

・我々が人生の意味を問うものではない。我々は人生に問われている立場であり我々が人生の答えを出さなければならないのです。

・幸せは目標ではないし目標であってもならない。そもそも目標であることもできません。幸せとは結果にすぎないのです。

・どのような状況になろうとも人間には、ひとつだけ自由が残されている。それはどう行動するかだ。

The last of human freedoms.the ability to choose one’s attitude in a given set of circumstances. 


ナチスで生活を余儀なくされたフランクル。彼は絶望的な状況でも、人生にイエスと言った。最近、彼の残した言葉へのうなづきが、年々増える深まるなぁと思う。なんて、鼻垂れ小僧世代にも満たない(平櫛田中が 「七十、八十は鼻たれ小僧、男ざかりは百から百から」と言った為)それがし38歳が語るには早すぎるのだろうか。

七夕の日であろうと毎年大なり小なり個々を襲う災害級の出来事は起きていて、今日も起きるかもしれない。向こうの国で戦争や紛争は続き、ニュースにはならないものの悲惨なバトルも続く。火は消えても傷が癒えない人もいる。傷つけた罪を背負って今日も生きる人がいる。それでもワロてる人も、そうで無い人も、尊い。他人事ではないし、他人事にしてはいけない。いつの世も誰かが笑う裏側で誰かの涙がある。ときに複雑すぎて、笑うのも泣くのも躊躇しそうになることも。でもこれも地球に生まれた宿命なのか。考えすぎたら、きりがないが。色々あっても人生にイエスと私も言えるよう、隣の誰かにナイスと声をかけられるよう、希望をもった行動をしたい。もう既に大量の願い事をクレドの短冊に書いたけれど、そんなことを願いながら、これからそうめんをすする。今日って、そうめんの日らしい。七夕にそうめんを食べると願い事が叶う、って古くからいわれているとか。知らんけど。ほんまかいな。旧暦(今年は8.10)にも食べようか。

#七夕



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