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"個性"とは自分が自分を肯定するための手段であり、他人が強要するものではない。

先日、ロリエさんのこの企画が炎上していた。「生理を"個性"ととらえれば私たちはもっと生きやすくなる。」

わたしがこれを何の偏見もなしに見た第一印象は、そこまで不快感はなかった。その理由として、わたしは生理が軽いからだと思う。

今回、この企画に真っ先に不快感を覚えたのは、自身の重い生理痛が病気に繋がっていたり、毎回寝込むほど生理が重かったりする女性たちだ。わたしは正直、そんなに重い生理というのを経験したことがないので、この企画についても「生理は個性、、なんか違和感あるけど生理の重さが人によって違うってことをキラキラワードに言い換えた感じかな...」と思った。

この企画は炎上しているけど、”生理は個性”がなぜそんなに女性たちに不快感を与えたのかがいまいち腑に落ちていなかった。そこで、個性という言葉について深掘りしてみることにした。

辞書で調べてみると、個性とは


1.
他の人とちがった、その人特有の性質・性格。個人の特性。
 「―的な人」
2.
個体に特有の性質。

という意味を持つ。今回、ロリエさんは後者の意味をとって、同じ生理でも個体ごとに違う性質、症状をもつということが言いたかったのだと思う。

言葉の意味的には大きく間違っていないが、ではなぜこんなに違和感があるのか。その答えとして、このツイートが手がかりとなった。

「生理は個性」は「障害は個性」と似ている。

なるほど、、例えば両腕を失ってしまったひとに、自分は健康的な身体をもつ人間が「両腕がないのもあなたの個性ですね。」と言ったら、両腕を失った人は「この身体のせいで不便なことがたくさんあるのに、それを個性という軽々しい言葉で片付けられたくない」と思うのは容易に想像できる。

上記ツイートのなちゅ。さんがいうように、個性の本来の言葉の意味はどうであれ、現代日本社会では「個性とはポジティブな意味を持つ」。そのため、自分がその身体のせいで大変な思いをしているのに、それを外野からポジティブに捉えようと強要されるのはかなり不快感を持つのだ。

このような場面も想像できる。例えば、両腕を失った人が「この両腕がない身体も、私の個性なんです」と言ったら、それを聞いた人たちは「このひとはなんて強く、立派に生きているのだ...」と感銘を受けるだろう。

つまり、"個性"とは自分が自分を肯定するための手段であり、他人が強要するものではないのだ。

結論:
・ロリエさんは、毎月生理痛で苦しむ女性に「その痛みも個性ですね😃💎✨」と、無神経なことを言っている。

・自分のdisadvantageを"個性"と認識するのは、自分との闘いを乗り越えた人ができること。ロリエさんは、「毎月くるあなたの苦しみも個性と思いましょう」とかなり達観的視点を持つことを要求している。

・多分、この企画メンバーには私のような生理が軽い女性しかいなかった。

・全てのひとの立場になって物事を捉えてみる大切さ。

最後に、辻愛沙子さんのツイート。最近、女性をエンパワメントすることが目的の広告や企画が炎上することが多い。自分含め、フェミニズムやジェンダーを表層的に理解するだけでなく、本当に悩みを抱える当事者の立場になって考えなければならないのだと思う。

〈追伸〉

やすほちゃんからこんな意見がもらえて嬉しかったです😽

美味しいご飯が食べたいです🍣🍔🍫