見出し画像

【エッセイ】シャンティニケタン、平和の郷~いのちの日によせて (2011)

【ロビンドラナット・タゴール、ショートエッセイ】
シャンティニケタン、平和の郷~いのちの日によせて (2011)

東日本大震災後、心から離れないタゴールの作品がある。「束縛は執拗にまとわりつく……*」と始まる「ギタンジャリ」第二十八歌である。

タゴールはこの詩の中で、「誠の富は神のもとにあり、切望する魂の自由は物欲や我欲から解き放たれることだ*」と解っていても「……私の部屋を一杯に満たす虚飾を掃き捨てる勇気はない*」と嘆き、「……私の恩恵を願う時、祈りが叶えられはしまいかと恐怖に震える*」と綴る。ここで恩恵は解脱と同時に死を意味し、それを望みつつも恐れる現世への愛着を詠う。

東日本大震災に際し、多くの人にとって普段以上に祈る機会が増えたであろう。家族や友人の無事を、犠牲者の冥福を、被災者の安全な生活を、原発の危機回避を、そして日本の復興を……。人間の無力さを痛感し、祈りが切実であればあるほど、その中で捧げるものは大きい。そして我に返った時、あるいは必死で祈る最中でさえ、訪れる「恐怖」に慄く。

私利私欲を捨て去り、神の御心に副う願いのみで心を満たし、祈りの時間そのままの心境でずっと生きていければどれほど素晴らしいことか。だが人間はそれを容易にはできない。インドでは小学生の道徳の時間に「人生の目的は神に近付くことである」と教え言い切る。「ギタンジャリ」の前半にこの作品があることは救いであり勇気が湧く。

本詩集のタゴール作品は、深い智慧と高く美しい精神性を以て、神との個人的な関係を魂の誠実な体験として命の喜びと共に描きつつ、人間の脆さをも愛で包み込んでいるのだ。

未曾有の自然災害に見舞われた日本には、世界中から純粋な善意と支援、無償の愛と祈りが様々な形で届けられた。もしこの意識の統一が通常の外交や日常で実現されたならどんなに平和な地球となるであろう。それは夢物語かも知れない。だがそのような世界こそ、不条理や苦悩で満ちてもなお世界と人生をこよなく愛したタゴールが真に望んだシャンティニケタン、平和の郷なのではないだろうか。

*出典 R・タゴール/著 森本達雄/訳註 第三文明社

**本稿は「詩と思想」2011年9月号【タゴール生誕150周年】特集に掲載されたものに加筆/修正を加えた作品です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?