家族の異常な日常、または妻は如何にして心配するのを止めて我が家を愛するようになったか
ちゃぶ台手記
『家族の異常な日常、または妻は如何にして心配するのを止めて我が家を愛するようになったか』
この映画が意図しているところを最大限に感じとるには、舞台がアウシュビッツ(オシフィエンチム)であることを知らずに見始めるのが一番だと思うけれど、それは土台無理な話。
配給会社がA24であることを思えば、これはある種のホラー映画であるとも言えるけれど、わたしが思い出したのはアニメ化されてロングセラーとなった日本の戦争漫画「この世界の片隅に」だ。
戦時中にも日常はある、という意味ではある種似ているのかもしれない。壁の向こうは巨大な収容所(という名の殺戮施設)という環境で暮らす強制収容所司令官の妻の関心は夫の出世と、3年かけて手入れした自宅への執着のみだ。
「この壁の向こうで起きていることに無関心な妻は現代のわたしたちである」などとしたり顔で揶揄したくなる人もいるだろうし、「まさにこれがハンナ・アーレントがいうところの凡庸な悪である」と、巨大な公共事業として合理的に殺戮を激化させていったナチスの悪行という第二次大戦最大の地獄について再考察をしたくなる人もいるだろう。
しかしシモーヌ・ヴェイユの言葉を借りれば「悪に対立するものとしての善は、ある意味では、対立するすべてのものがそうであるように、悪と同質である」というのがまさに真理で、この主人公含むナチスは悪であり、自分は善であるなどと切り捨てて他者化するならば、また同じ悲劇は繰り返されるであろう、な〜んて、何目線でどの口が言ってんだって話なわけで、まあ興味があったら見てください。
あらゆる角度から永遠に咀嚼していかなければならない出来事なのだ。とっても変わった映画です。ある種のリアリティーショウの覗き見みたいな。
音にこだわりがあるようなので、シアター◯ノよりシネコンで見た方がいいかもしれません。
ロシアの格言
歴史を無視すると片目を失う
歴史ばかり見ると両目を失う
という言葉は秀逸だなと思っていたのですが、わたしたちもまた歴史の中で生きていて、いまも世界は戦争中なのだ。
と、いろいろボヤキたくなる映画です
#アヤコフの映画棚
アヤコフスキー@札幌。ディレクター・デザイナー。Salon de Ayakovskyやってます。クロエとモワレの下僕。なるようになる。リトルプレス「北海道と京都とその界隈」で連載中 http://switch-off-on.co.jp