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カセットをめぐる冒険、巻き戻しのクロニクル

台所でコーヒーを落としていると電話が鳴った。久しぶりの友人からだったが近況を聴く間もなく伝えられたのは彼女が亡くなったという知らせだった。最後に会ったのはいつでどこだったか。部屋に流れるハンプトンの"midnight sun"が60分テープに収まらず曲の途中でガチャリと音を立てて止まり静まり返った部屋の中で、僕はワルシャワ駅の少し暗い構内を思い出していた。

ーーーーちょっと村上春樹ごっこをしてみました。タイトルから丸ごと。

ところでカセットテープが静かなブームらしい。いや静かなブームってなんだよ、ブームだったら静かじゃないし静かだったらブームじゃないじゃん。と仰らず。もうこの世から消えゆくとほとんどの人が思っていたものが脚光を浴びて「懐かしむ」人だけでなく「見たことがなかった」世代にまでその魅力を発信し始めたというのはなんともいい話で、ブームというほどの事態には至ってないにせよ間違いなく愛好家が増えているのだ。

カセットは絶滅するかと思われていた。CDの誕生、MDの敗北、ネットの台頭、音楽を記録したり再生したりする媒体の進化は「データ」という実体のないものを最終系として昇華したように見受けられた。クラシックやジャズなどを中心に一定のファンを持ち中古市場も賑わっているレコードとは違い、もはや農作業中に演歌を聞きたいマーケットくらいしかニーズがないと思われてきたカセットテープであったが、なんということでしょう、東京にはおしゃれな専門店がオープンし、ネット配信で人気のアメリカのTVドラマではストーリーの鍵になるツールとしてカセットテープが登場、ベイビードライバーというイカした映画では主人公がマイクロカセットで人の会話をサンプリングしてリミックス、完成した音源はカセットテープでコレクション化されていた。聴くところによるとアメリカでは「曲をポンポンと飛ばされるのが耐えられない、ちゃんと聞いてほしい」というメッセージ性の強いバンドを中心にカセットテープで新譜を発売し始めてるというのだ。カセットのデメリットと思われた曲の頭出しがポンポンできないことをメリットとして捉える人が現れるとは開発者でも予想だにしなかったであろう。

昭和に生まれて平成に社会に出た身としてはテクノロジーの進化とともに成長してきたという自負があり、進化は素晴らしいこと、として受け止めてきた。人の生活を一変させた産業革命と同様、情報革命でまたさらに人類のステージが上がった、と思っていたことが、どうやらそうでもなさそうなのだ。「便利」と「不便」は損益分岐点みたいに放物線を描いて説明できるような単純なものではない。いい人だから付き合いたいとはならないし、燃費のいい車を愛車にしたいとは限らない。クセのある人に魅力を感じたり、手のかかる厄介な車を愛してやまない、つまり「不便」を楽しめることが人間としての性みたいな業みたいなもの、いや、醍醐味なんじゃないだろうか。

長方形の画面をコックリさんみたいに人差し指でなぞることで得られる実体のないものを色即是空とするならば、カタチあるものは壊れるという諸行無常に向かってわたしたちの旅は続くのだろうか。

アヤコフスキー@札幌。ディレクター・デザイナー。Salon de Ayakovskyやってます。クロエとモワレの下僕。なるようになる。リトルプレス「北海道と京都とその界隈」で連載中 http://switch-off-on.co.jp