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しんどいことが沢山

自分が正しいと思っているわけでもないが、自分が正しいと相手に認めさせたいのが私なのかもしれない。人々が賛美している事柄を斜め30度からみて批判するより、真っ正面から立ち向かっていたい。でも相手の批判をしたところで、何が楽しいのか。正統性を叫んで何か喜びを得られるのだろうか。でも私の心は止まらない。私は私はと。この自我を止めることはできるのか。

相手を攻撃しているつもりはない。但し相手が攻撃されて負傷しているのに、気が付いていないかもしれない。私の愛があまりにも攻撃的なのは、必死で開かない扉を叩き続けて、無理やりこじ開けようとしているかのようだ。扉は開いたりしまったりする。だからヤケになって叩き続ける。いくら叫び続けても、相手には見えていなかった、聞いてもらえてなかった。この喪失感、失望感をどうして埋めることができるのか。私はわからない。

しんどい。疲れた。私はすごく病んでいる。心が自我の炎に包まれて、あっと言う間焼け焦げてしまった。誰のために、何のために頑張っているのか。自分の命を削ってまで進む必要がどこにあるのか。完全に見失う自分に感情の操縦を。誰も助けてはくれない。自分がここから自分の智慧で解決策を見つけ出すまでは。できるかだろうか。できないだろうか。

このしんどい今を忘れないでおこう。

しんどい時。木、森、緑の妖精を見つめる。彼らが私に教えてくれる。風に身を委ねて、体の力を抜いて、自分に優しくなることを。

でもしんどい。


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