見出し画像

「どうして分からないの!?」


さて、皆さん、下の画像は何に見えますか?



有名なのでご存じの方が多いと思いますが(笑)

正解は、「若い女性」と「老婆」です。
一枚の絵に二つの象徴を解釈することが出来る騙し絵ですね。
(ちなみに、作品名が「妻と義母」だそうです。この二人、そういう関係性だったのね(笑))

皆さんは、どちらに見えましたか?
若い女性にしか見えないでしょうか?
何言ってるんだよ、老婆しか居ないじゃないか!と思いましたか?
それとも、どちらにも見えるでしょうか。

何故、見え方が違うのでしょうか?
それは、「視点」の違いです。
どこに、注目するか?そのやり方が違うだけなのです。

では、ここにどうしても老婆にしか見えない人が居るとします。
貴方は、若い女性にしか見えないとします。
そこで、貴方は一生懸命、「これは若い女性でしょ!」と説明します。
でも、「え〜老婆にしか見えないけど?お前、何言ってんの?」と、貴方は言われてしまいます。
何度も、何度も手を変え、品を変え、いろんな言葉で説明します。
でも、分かってくれません。
そんな時、貴方はどう思うでしょうか??
多分、分かってくれない相手にイライラしてきて、こんな風に思いませんか?

「「こいつ、馬鹿じゃねえの!?」」

って。

分かりますよ、その気持ち。

でも、冷静になってください。
老婆にしか見えないから、馬鹿なんですか?
若い女性にしか見えないから、馬鹿なんでしょうか?

いいえ、違います。お互いに見ている視点が違うだけなのです。
著しく知能指数が低いために、老婆に見えるとかそんなことはありません(笑)

この画像は、シンプルに見え方の違いが分かる例なので、まあ、実際そんなに言い争うことは無いと思います。

では、少し違う例を出します。


「1+1=?」

こちらの式の答えが分かりますか?



「当たり前だろ!2だよ!2!」

と思われたでしょうか?

そうですね、小学校でこの式の答えは「2」と習いました。

でも、これが「1+1は2ではない」と言われたら、貴方はどうしますか?
そんな馬鹿な!?みーんな学校で「1+1=2」って習ったでしょ!?と、思いますよね。

実は、そうじゃないんです。

大学の数学科では、1+1=2になることを証明せよという問題が出題されます。これが、結構難しいんです(笑)

まず、1+1=2は、1の定義が限定されていません。
例えば、一辺が3cmの立方体の積み木があったとします。

この1が積み木の「個数」に適応される場合は、

1(個)+1(個)=2(個)

になります。

では、「長さ」に適応した場合は、どうなるでしょうか?

1辺が3cmですから

1(辺)+1(辺)=6(cm)

となります。必ずしも2にはなりません。

まず、1とは何を示すのか?
足すとはどういう行為なのか?

それを定義して、証明しないと、必ずしも2になるとは限りません。

はい、ここで、

「知らんがな!!ワイは、「1+1=2」って習ったんや!何をごちゃごちゃと訳の分からないことを言ってるんだ!!」

と思った人も居ると思います。
(そんな方は、長い文章なのによくここまで読んでくださいました。ありがとうございます(急なお礼))

小学校で、こんな難しいことを言ってもしょうがないので、「1+1=2」だよ。そういうことにしようね。異論は認めないよ。約束だよ。とお約束ごとにしたのです。

ここでシンプルにすると二つの視点が存在します。

1、教えられた前提を素直に受け入れる
2、教えられた前提に疑問を持つ

この二つが存在します。
これは、どちらが良い悪いではなく、物の見え方の傾向、価値観の違いなのです。

「1+1=2」だと信じて疑わない人には、答えって本当に、2なの?って言う人を理解できませんし、1足す1って絶対に2になるとは限らないじゃん?って言う人は、「1+1=2」だと信じて疑わない人のことは理解できません。

そういうもんなのです。

若い女性と老婆の絵や「1+1=2」の例だと、我々の日常生活とかけ離れているので、まだ感情が伴わないと思いますが、ここで身近な例を出します。

例えば、
女性は、結婚して、子どもを育ててこそだと思っている両親と、自由奔放に生きるのが女性らしさだと思っている自分だとか
ふくよかな女性が美しいと思う男性とスレンダーな女性が美しいと思う男性など

両者は、基本的に話が噛み合わないと思います。
でも、お互い馬鹿だから、話が噛み合わないのではないのです。

「視点」が違うだけです。

ここで一番やっちゃいけないのが、”視点が違う”ただそれだけなのに相手を馬鹿にすることです。

これでは、一生喧嘩は終わりません(笑)

というか、若い女性と老婆について喧嘩するの馬鹿馬鹿しくないですか(笑)

相手は、視点が違うのです。
良い悪いでは、無く
価値観の違いなのです。

絵の見え方ぐらいの違いなら怒らないですが、自分にとってセンシティブな話題は、どうしても強く感情が出てしまうと思います。

そういう時に、一番良いのは、


「そっと離れる」

です。相手は、価値観の矯正など望んではいません。
貴方も、コントロールされるのは嫌なはず。
(宿題やれって親から言われたら、やる気なくしませんか?)

そこは、あっと思ったら、それ以上、話題には触れない。
合うところだけ、楽しむ、又は、お互い別の場所で楽しくやりましょうと、離れる。

悲しいかな、全人類を理解させることは不可能です。
でも、視点が同じ人は必ずいます。
そうして、棲み分ければ平和に暮らせるのではないか。
私にはそれが、本当の多様性のように思えます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?