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言葉と行動を行き来して、粘り強く探したいものがある

2021年が始まった。
不思議だ。年が改まると、そこを起点に昨年を振り返り、今年一年に思いを馳せたくなる。
小学生の頃、今でも覚えてる校長先生の話。
竹は節があるからしなやかに伸びていけるんだよ、と。
(わざわざ金属製の物干し棹と、それに匹敵する長さの竹を壇上に持ち込んでの説明は、子ども心に相当にインパクト大だった)

大人になってから、『竹は何より早く成長したいから、材料は最小限で、中はスカスカだが、要所要所に節を設けることで、強さも兼ね備えた構造にした』という考え方を知り、スピードがあってもスカスカは嫌だな…と思ったのはまた別の話。

私たち人間も、竹のように節を設けることで、強くしなやかに、これからどんな変化が起こっても、それにも耐えうるようにしているのではないかという仮説のもと、話を進める。

これは、今、自分の立っている場所をもう一度、確認しておくためのアウトプットである。

タイトルをつけたら、動き出した

昨年は、長年モヤモヤするけどどう整えたら良いもんか、考えあぐねるばかりだった事柄に、エイヤとタイトルを付けた。

荒削りなアウトプットだが、言葉をかき集め、まとめたことで、ずっと落とされていたブレーカーが、上がった状態になったのだと思う。
遮断されていたものが流れるようになって、私には、たくさん言いたいことがあるなぁ、と気づいた。

なんだけど、同時に気づいたこと。
自分の思いや考えを発信しようとするとき、私は巧妙に「I」を消すクセがあることに。
喉元まで出てきた言葉を、スルリと『分かってもらえるように』変換してしまう。それは、小学生でも分かるように自分の発言をかみくだくのとは大違い、自分が想像する相手の理解ルートに則って『通る(通りやすい)意見』に変換してしまうということ。

反対されるのが怖い?

承認欲求が強すぎる?

まだ自分でも、そうしてしまう理由が見つけられてない。

ただ、自分の息子(9歳)を見ていて思うのは、親である私たちとのやり取りで、自分の居心地を良くするために、その場しのぎに発している言葉も多いが、それには全く行動が伴わないから、結果、自分の本音にはとても忠実なんだよな、と。

めんどくさい。

やりたくない。

好きじゃない。

上っ面の言葉だけに振り回されてきた身としては、「また、口だけかよ!」と腹立たしい限りだが。

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私は、小さな時分から有言不実行を憎んでいた気がする。今日は遅くまで起きてテスト勉強する!と声高に宣言しておいて「やっぱり眠くて寝ちゃった」と言う人間を心の中で『バカじゃない』と斬り捨てていたし、最後までやり遂げる事こそが至高だと信じて疑わなかった。

その最初に立てた目標、それが自分の居心地を良くするために、その場しのぎに発している言葉で作られたものじゃなかった?

行動する前に、『どうしても気が進まない』と思ったこともあるのに。そこは屈強な意思でねじ伏せて、一度発した言葉にひたすら従って行動することが、私のプライドだった。

そのプライドで仕事にもあたったし、家事育児にもあたった。誰かがやらないと、進んでいかないもんね。いびつで頑なで、愛おしい私のプライド。

だけど、それを長年続けていると、どうなる?
自分の本音が分からなくなるんだよ。

言葉と行動を行き来して、探したいものがある

というわけで、言葉と行動、どちらも粘り強く検証しながら、私が探し出したいのは自分の本音。
エグいのが出てくるかもしれない。
それでも、本音で生きていけるようになりたい。言行一致が軸にあっての、有言実行。

旅の打合せで飲んだお茶に

私が、自分の中にあるモヤモヤした思いにタイトル―「ママが1週間旅してきても平気な家族」―をつけるきっかけとなった軽井沢旅行には、同行者がいた。

彼女と事前に、旅の打合せをしたとき、彼女はお茶を持ってきてくれた。
それはヨギ茶といって、ハーブやらスパイスやらの効いた、不思議な味のお茶。もっと不思議なのが、ティータグの一つひとつに、メッセージが書かれていて、それがまぁ的を得ているんだ。

私が選んだメッセージはこちら。


Love is the ultimate law of life.(愛とは人生の究極の法律です)

しかしこの「law of life」という表現、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディの言葉ではこう訳されている。
Change is the law of life.(変化は人生において避けられないものだ)

愛は、人生においてどうしたって避けられないものだ。

こうも突きつけられてしまうとね。
長年、愛ってなぁに、自己肯定感も欲しいんですけど、と足掻いてきたが、年明けて今、ふと思う。

もう本音を隠さなくてもいいよ、心と体と頭を一致させていいんだよ、と自分に言ってあげられるのが、きっと愛。

ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!