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今週の英会話レッスン振り返り|テーマは"decide"

昨年から始めた『ジブンのあり方English』レッスンも、もう8回目。
実は、前回は緊急事態宣言もあって、初めてオンラインでの受講だった。
オンラインもいいんじゃない?移動0分の自宅だし、分からない単語があったら影でこっそり、辞書アプリを使っちゃおうか、なんて考えていたけど、実際には自分の話したいことだけを見つめていたら、そんな暇は全くなかったね…!
それに、まだ自分は(目線や声の調子、その会話の空気感など、本当に細やかな情報が遮断される)オンラインで話せるほど、英語での聞く・話すが追いついていないとつくづく分かった。

というわけで、今日はリアルでの英会話レッスンに戻してもらった。
気合いを入れて、脳も活性化できるかと、会場まで歩いてみたけど、30分は歩き過ぎだった。冬ならではの、明るく寒い中の散歩って好きなのだが、そのために私は寒い寒い高山地帯に住むという、ヤクの毛によるセーターを着込んでいた。
ヤク毛セーター×ガシガシ歩く30分は、「汗だく」という結果となる事を、私は身をもって学んだ。
冬の散歩はそぞろ歩きに限る。

汗だくになりながらレッスンに参加し、今回も必死で自分の気持ちを表す言葉を探して、別の汗をかいて終わった。次回はインナーの着替えを用意して行こう。コロナの感染予防以前に、風邪を引きそうだ。
こんな私だが、今回は『おっ!?』という変化、成長が見られた。

今週のテーマはdecide

ジブンのあり方Englishでは、毎回のテーマに基づいて、2つの質問が用意されている。前回がchangeで、今回はdecide。
①What will you do now for your future?
―未来のために、今、しようとしていることは、何ですか?
②What will you decide not to do for your future?
―未来のために、「しない」と決めたことは、何ですか?

①今、しようとしていること。
I will do anything that I can be myself.(自分らしくいられることは、何でもするつもり)

たけうちさんが取ってくれたメモを見返しても、今回の私はやたらmyselfを頻出させている。
I want to draw many pictures talking to myself.
自分自身と対話しながら、絵を描きたい。
Moving hands make it easy to access to myself.
手を動かすと、自分自身にアクセスしやすくなる。

ずうっと良いとか正しいとか、ちゃんとなりたいと願うあまり「I」を見失っていたことに気づいたから、これからはmyselfを大事にして行きたい(生きたい)と、心から思ったのだ。myselfの判断を信頼するようになった、という言葉の方がしっくり来るかな。

ここで、日本語のまま「大事にする」って考えると、それに該当する英語がとっさに出てこない。そんなときはstatus(状況)から、act(動作)で表せないか、言いたいことを因数分解してみる。
I will always be myself.(私はいつだって、私でいる
I trust anything that my heart decides.(心が決めたことを、信じる

大事にする、って辞書で調べたらtreasure(動)って出てきた。宝物ね。
take care of〜の方が分かりやすいかも。
以前と現在との対比がしやすい。
I used to take care of the judges that other people did, but now, I don’t care that.(かつては他人の評価を大事にしていたが、今は気にしなくなった)

ちなみに、私の英会話にはmessyもよく登場する
他に、私コレよく使っているわ、と気づいたのがmessy(散らかった)。
どんだけ生活のとっ散らかりに、HP削られとるんや…
しかしmessy、よく使う割に覚えられない。他でどんな使われ方してるか調べていったら、ディズニー映画『リトル・マーメイド』の劇中歌、アンダー・ザ・シーの歌い出しで、アリエルのお目付け役、カニのセバスチャンがこう言っていた。

Ariel, listen to me. The human world, it's a mess.
(アリエル、よく聞くんだ。人間の世界はめちゃくちゃだよ)

これからは、このメロディとともに、messyを思い出そうと思う。
(それ以前に、messy解決に着手しよう)


「何をしないか」も自分で決められる

②未来のために、「しない」と決めたこと。
I won't going to connect with anyone.(誰とでも繋がろうとしない)

最近、Facebookで繋がっている人々の間で、Clubhouseが話題のようだ。
でも私は、始めたいと思わなくて、それでいいなと思った。
順番が大事だと、気づいたのだ。
個を確立してから、人と、社会とどう繋がろうかって考えたい。

何でだろう、今まで盲目的に(それはまるで人懐っこい犬のように)まず仲良くなろうと思って人と繋がろうとしていた。仲良くなろうと思っていたら、仲良くなれるものだと信じていた。それはつい最近まで、ママ友になろう、と連絡先を交換するときも、そう思っていた。
でも、私はその場でパパッと私ってこんな人!こんな考えを持っている!なんて自己表現できないし、意識的にも無意識的にも、「I」を消してしまう。「I」は私に興味をもってくれる人から質問されたりして、ようやく表に出せる。
だから、私の知り合いは私のこと、きっとこう思っているんじゃないかな。

いつもニコニコ笑顔で、感じ良く話してくれるけど、何を考えているか分からない、当たり障りのないひと。

私は本来、相当アクの強い人間だ。
感覚優位だから、会話の中で相手に伝わる言葉をつむぐことも不得手だ。
でも、もうそれでいいと思っている。

だから、自分と仲良く、対話を続けた先に絵を描き、文章を書いて、それを社会に開こうと思うのだ。

実際、このnoteでの文章は、自分との対話だ。
もちろん、読み手の存在を意識している。だけど「I」を浮き彫りにしたいから、硬い印象を持たれようと、ですます調では書くまい、と決めている。
でもそんな文章はある人からは『丁寧』な印象でもあるらしいし、『思ったより読んでもらえて、内容に共感してくれる人がいるんだな』と感じている。楽しい。
「I」がハッキリしていたら、ハッキリしているからこそ、興味を持ってくれる人もいて、コメントを入れてくれる人もいる。嬉しい。


ひととしての距離感ってだいじ。特に私には

というわけで、I won't going to connect with anyone.
なぜなら、I need to keep distance from everyone to be myself.
私が私であるために、周りとの距離を見極めていこうと思う。

相手に対して距離をとる、というのは『子育てハッピーアドバイス』にあったけど、自分の周りに風通しのよい生垣を育てて、ひととはその生垣越しに立って、会話をするイメージ。みだりに人に生垣の中へズカズカ踏み込ませてはいけないし、辛いときは壁を作ってその中に閉じこもり、身を守ってもいい。
ほどよい距離を保ちながら、人と、社会と繋がることはできる。

剥き出しの心で付き合うというのは、よほど安全で、安心できる関係の中じゃないと、出来ないことだ。皆と仲良く、と一律に教えるより、心を開くというのは危険な側面もある、ということも教育で教えてもらえたらな。
剥き出しの心には、結構な割合で食い込んでくるんだってば。息子たちがいい例だよ。距離が近すぎるのよ。
ひととしての距離感って、だいじよね。

ここにも距離感だいじって書いてあった。

レッスンで、おっ!?と思ったこと。
この、幼い息子たちが母親である私に対して、無遠慮に食い込んでくることを『今は、しょうがない…しょうがないって英語でどう言うの?』と話そうとして、

I give up to make distance from my sons now.

give upという自分の動作で言い換えた瞬間、えもいわれぬ感覚があった。
『私、英語の組み立て方が変わってきたなぁ』と実感した。他責ではなく、個に焦点を合わせ、自責で考える視点。
それに、レッスン全体を通して、受け答えの輪郭がハッキリしてきたなと思う。
私は私と対話したり、またはむやみに人との繋がりを求めないことで、自分であることを際立たせたい。


自分の直感を呼び覚ます機会を増やす

というわけで、これからも汗をかいて自分とアクセスし、こうして振り返り、言葉にすることで、自分の輪郭を確かめていこうと思う。
そう考えると、透明水彩というアナログ画材を使って絵を描くことも、一服を立てる意識で丁寧にお茶を淹れる、それを飲むことも、要素で見たら一緒なんだよな…

自分の直感を呼び覚ます機会を増やし、それを丁寧に検証する。
そうして、私は自分の納得を増やしていくつもり。
多分、私の自己肯定感を解く鍵は、ここにありそう。

以上、今週の英会話レッスンを受けて、自分が考えたこと。

ありがとうございます!自分も楽しく、見る人も楽しませる、よい絵を描く糧にさせていただきます!