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雑誌の名前を決める | 子どもの範疇 第7回

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 こずちゃんの家は外壁がケーキのように真っ白で、庭にはどの季節にも花を絶やさない花壇があり、部屋の出窓には外国製のテディベアが飾ってある。遊びに行けば白いフリルのエプロン姿のお母さんが大人に出すようなティーカップの紅茶と手作りのお菓子を運んできてくれた。

   その日もオレンジの香りのする紅茶と焼きたてのマフィンが出された。翠子はあいさつとお礼を言いながらも、その現実感の薄い、絵に描いたようなお母さんぶりに、どこか妖精でも見るような目になってしまうのだった。 

 廊下で南さんにOKの返事をもらってから数日後、「みんなでマンガの話をするなら、うちに来れば」とこずちゃんが言ってくれて、雑誌をつくるメンバーではじめて集まった。こずちゃんとおりっぺの二人は南さんと面と向かって話すのがはじめてで、自己紹介をしてからしばらくの間、恥ずかしそうにもじもじとして、細い持ち手のティーカップの紅茶を何度も口にしていた。しばらくティーンの空気感をまとっていたこずちゃんも、南さんを前に小学生女子に戻ってしまったようだった。南さんはこういうときにまったく緊張しないらしく「よろしく」と一度にっこりして、それがまた大人びていた。

 どんなマンガを描くか、という話がはじまると、部屋の空気はやわらかにふくらんでほぐれていった。こずちゃんとおりっぺからもう下描きをはじめていると聞いた南さんは「うわあ、あせるなー」と言ったが、顔には余裕がありそうだった。四年生のときに描いていたファンタジーマンガの続編をやりたいという。「すごく読みたい!」とこずちゃんが熱に浮かされたように大きな声で言った。どうやらこずちゃんはひそかに南さんに憧れていたらしかった。

 翠子はいろいろなマンガ雑誌を参考にした雑誌の設計図を自由帳にまとめていて、それをみんなに見せた。カラーの表紙、もくじ、マンガ、お便り募集コーナー……と、結局はかなりオーソドックスな構成になってしまったが、「いいじゃない」「本物の雑誌みたい」と言ってもらう。翠子は安心して、気になっていることを相談した。

「それでね、雑誌の名前なんだけど、全然思い浮かばなくて……」

「あー、雑誌の名前」

「かわいいのがいいよね」

 小学生の手持ちの語彙の中からしぼり出すようにしてかわいい感じがする名詞が挙げられていき、翠子はそれを自由帳に書き留めていった。いちご、チワワ、サイダー、ドーナツ、フリル、ルビー、ビーズ……とだんだん何がかわいいのかがわからなくなってきて、どれもしっくりこない上に後半はしりとりになっていた。

 そのうち、最近家族で動物園に行ったというおりっぺが「パンダ」とか「プレーリードッグ」とか「コビトカバ」とか、動物の名前を次々と繰り出し、次第に何を言ってもなんだかおもしろい空気になってきて、「アルマジロ」に至ったあたりで、みんな少し疲れてきたこともあって、いいじゃんそれで、ということになった。

「じゃあ、とりあえず本当の名前が決まるまで『アルマジロ』で」

 アルマジロがかわいいかどうかは置いて、仮称であっても名前がついたことで、まだ影も形もなく風が吹けば飛ばされそうだった頭の中の雑誌にわずかに重しが載せられたようだった。

 知らぬ間に夕方になっていて、もう帰ろうということでみんなは玄関に向かった。見送りに来てくれたこずちゃんが、そういえば、という感じで言った。

「あのさ、まだ先だけど、マンガができたらスイちゃんに渡して、みんなのが集まったらそれを綴じて雑誌にしてくれるんだよね」

 じつはそのことについては翠子も悩んでいるところだった。原稿そのものを本にしてしまうと一冊しかできないし、ほかの人に読んでもらうときにも失くされたり汚されたりしないとも限らない。回し読み用のほかに各メンバーに一冊は確保したいし、なにより生の原稿のままじゃだめで、印刷されてはじめて本物の雑誌になるという感覚があった。いちおうは何部かつくることを前提に、コピーには出ない薄いグレーのマス目が入ったレポート用紙でマンガを描いてもらうように三人にはあらかじめお願いもしていた。

「先生にお願いして職員室のコピー機を貸してもらおうか」

「授業に関係ないことでは使わせてもらえないよ。お店のコピーを使うしかないんじゃない?」

 翠子はいつも『りぼん』を買う本屋兼文具屋の正面に「セルフコピーサービス」というビラが貼ってあって、店の隅に石碑のように大きなコピー機が置いてあるのを確認していた。それを言うと、「子どもが使っていいのかな」「別にいいと思うけど、いくらくらいかかるの?」「一枚十円って書いてあった」「何部もつくったら、きっと何千円にもなるよ」という話になってしまった。

 そこで先に玄関で靴を履いていたおりっぺがくるりと振り返って言ったのだった。

「あのねえ、印刷のアテならあるよ」

「えっ、なにそれ」

「うまくいけば、本屋よりずっと安く済むと思う。でも確認しないと……」

 深くは語らずにドアを開けたおりっぺは、黄色い夕陽の光に表情を溶かされるようにしてにやりと笑った。
(つづく)

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