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「南さんって青木先生となんかあるの?」| 子どもの範疇 第8回

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 マンガ雑誌・仮称『アルマジロ』についていろいろなことが決まってしまうと、あとはマンガの原稿を待つばかりになってしまった。待つ身のもどかしさよ、と思いながらも、翠子は三人のマンガの進み具合をこまめに確認させてもらった。

 とりあえずの雑誌名を決めたり、印刷のアテに関してほのめかしてみせたりといった活躍をみせたおりっぺは、こと自分のマンガになると筆がなかなか進まないようだった。下描きが一ページ描き上がるごとに、「これ、おもしろいかなあ」と不安げな顔で何度も翠子に見せにくる。そのときの鼻がわずかにひくひくとしていて、ふだんのおちゃらけに隠れたところに震えるうさぎがいる、と感じながら、翠子は根気強く「おもしろいおもしろい」と言い続けた。ケージの隙間からそっと菜っ葉を差し出すような気持ちだった。

 それに比べれはこずちゃんの足取りは落ち着いていて、着実に下描きを進めていた。

「クラスの男子をあまり見ないようにしてるの」と、こずちゃんは言った。

「なんだか、恋愛マンガに出てくるような男の人とちがいすぎて、現実を直視するとこっちのマンガが砂みたいに崩れそうな気がして」

 休み時間にアニメのミュータント・タートルズの真似をしてバカ笑いをしている男子たちに対して、こずちゃんの意識は二枚貝のようにしっかりと閉じられていた。しかし男子たちも自分たちが透明化されていることを鋭敏に感じ取っているらしく、こずちゃんが目に入れまいとするほど、懸命になってこずちゃんの席の近くで騒ぎたてるようだった。

 南さんは二人に一歩遅れていたけれど、構想はしっかりと頭の中にあるようで、四年生のときのファンタジーマンガの続編として描きつつ、はじめて読む人にもわかるような話にすると翠子に話してくれた。マンガの話をするときの南さんは迷いをみせるということがなくて、確信に満ちていた。頭の中に何か光るものがあって、そこに向かって歩いていけばいいとわかっているようだった。うらやましい、と翠子は感じた。

 そのうちマンガを待つばかりで何もしないというのに焦れてきて、翠子は表紙のデザインやお便り募集のコーナーのレイアウト案を練るようになった。以前、図工の時間に先生が「デザインを考えるための本がある」と言っていたことを思い出して図書室に行ってみた。そこでレタリングの本を見つけて、雑誌の題字を真似して書いてみたりした。


 息苦しいような感じがして目が覚める。月曜の朝だった。

 湿っぽい重たさを感じる布団から起き上がって窓の外を見ると、空が分厚い雲に覆われて夕方のように暗かった。昨日の天気予報ではもうすぐ梅雨がはじまると言っていたことを思い出した。まだ雨が降ってもいないのに、体中がべたべたして、ぬるい水の中に頭のてっぺんまで漬かっているようだった。

 その年はじめての半袖を着て登校し、ランドセルを下ろして席に着いたときに嫌な予感がしたのだった。ランドセルの蓋をあけてペンケースを取り出す。思った通り、消しゴムが入っていなかった。昨日の夕方に宿題をして、たぶんそのまま机の上に置いたままにしたのだろう。

 誰か余分に消しゴムを持ってて貸してくれたりしないものかとぼんやり考えていたところで、「ねえ、橋本さん、ちょっと聞きたいんだけど」という声がした。

 顔を上げると、机の横にトカジさんとワカヤマさんが立っていた。五年生になってはじめて同じクラスになった人たちで、この二人とはまだほとんどしゃべったことがなかった。

「あのさ、橋本さんって一組の南さんと仲いいよね?」

「あー、うん」

 一緒に雑誌をつくるし、友達だって言ってくれてるし、そう言いきってもいいよね……と考えながら、ワカヤマさんの質問に翠子は答えた。

「あのさ、南さんって青木先生となんかあるの?」

 青木先生と聞いて、一組にいた教育実習生のことだとわかるのに少し時間がかかった。たしかこの間、実習期間が終わったとかで、最終日に手紙を渡したり、泣き出したりした女子がいたという話も耳にしていた。それが南さんとなんか、とはなんだろうか。

「だから、駅のところにある喫茶店に青木先生と南さんが一緒にいるのを見た人がいるって話、知らないの?」

 翠子の反応の鈍さにしびれを切らして、トカジさんが怒ったように言う。

「知らない……」

「本当に? 実習中も先生からずっと贔屓されてたっていうよ。なんか聞いてないの?」

 二人は隠し事をしても無駄だとでも言うように、険しい顔で翠子のことをじっと見据えた。

「うん……」

「なんだ、本当に知らないんだ」

 ワカヤマさんがあきれたように言った。なんで自分があきれられるのかわからないと思いながら、自分の知らないところでなにか南さんのうわさが広がっているらしいということに、翠子はどうしてかショックを受けていた。

 気づかないうちに二人は自分の席に戻っていて、朝の会が始まっていた。朝礼のあとの先生の話を聞きながらもう一度ペンケースを開けると、小指の爪の先くらいの消しゴムのかけらが見えたので、翠子はそれをつまみだした。

 その消しゴムのかけらで指先を黒くしながら一日の授業をなんとかやり過ごすと、帰りの会のあとに一組の教室をのぞきに行った。南さんの姿が見えないので近くにいた一組の子にもう帰ったのかと聞いてみると、今日は風邪で休んでいるという。

 その翌日も南さんは学校に来なかった。南さんが休み始めて三日目、翠子はお見舞いに行こうと決めた。こずちゃんやおりっぺを誘おうかとも思ったけれど、トカジさんとワカヤマさんが言っていたことが気になっていたのもあって、学校が終わってすぐに一人で行くことにした。
(つづく)

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