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里親になるということ。

産婦人科医の三輪です。

今日は私たち家族について書こうと思います。
私は実の妹が1人(現在小児科医)、今年定年の母がいます。

そして、もうひとり。今18歳の妹がいます。
書類上でいうと実の妹ではありませんでした。里子です。

今までこういう情報を発信することはなかったのですが、もう大学生。そして、昨年養子縁組が認められ戸籍上もちゃんと家族になりました。

まだ日本では一般的ではない里親や養子縁組。
どんな様子なのかわからず、怖くて思いきれない。そういう方に是非読んで頂き、なにか意思決定の材料になれば、そう思っています。

4歳の女の子

その子は4歳のときに我が家にやってきました。

来ることになった経緯については後に書くことにします。
周りの4歳に比べて体も小さく、あまり話さない子でした。おとなしい感じの小さな女の子。当時札幌で大学生だった私はたまに実家に帰ってくるとソファーにちょこんと座り本を読んでいる女の子がうちにいて、可愛くて可愛くて仕方なかった。そんなに小さな子に接したことがなかったので、戸惑いながらも何が好きか聞いたり、本を読んであげたりしました。たまに買い物に行く時に繋いでくれる手は更に小さく、愛おしさで胸が潰れそうでした。札幌に戻るのが寂しくて、大学生なのに年間7回以上東京に戻ってきていました。毎回成長が楽しみでした。

我が家では一番の愛情が注がれる対象であり、なんでも最優先。みんながメロメロになる小さな太陽が来てくれたのでした。

里親になりたい

実は里親になりたい、と言い出したのは母です。
母の性格はというと、頑固、大雑把、適当、破天荒。私も似ているのですが「これがしたい。なんとかなるよ、ガハハハ。」という感じです。

なので反抗期の時期だけに限らず、母の言うことは話半分でそんなに真剣に聞いていませんでした。

でも一つだけ、ずっと尊敬してるところがあります。それは愛情深さです。私たち姉妹に対する愛情ももちろんありますが、それよりも「あらゆる生き物に対しての愛情」があった。
もともと母は薬学部で生物の世話には慣れていたり、田舎育ちなので自然や植物が好きだった影響もあると思いますが、ちゃんと生き物を手間暇かけて育てる。

例えば、お祝いで誰かが貰ったのであろう胡蝶蘭がマンションに捨てられていると、拾ってきて植木鉢を買ってきて植え直して育てる。胡蝶蘭を育てるのは温度・湿度管理が難しく花が咲かないこともある。咲かないと悔しがり、勤務先の会社に送られてくる胡蝶蘭も花が落ちると貰ってきて、一時期は10株以上ありました。どんどん増えるので、うちはいつから花屋になったんだ、勘弁してくれ、と母に文句を言ったこともあります。

また私がお土産にいただいたマンゴーが美味しいと、身を食べた後にその種を発芽させて、植える。大きくなったら大きな鉢に植え替える(ちなみにうちは一軒家ではありません)。日中は日が当たりすぎないようにネットを掛けたり外したり、雨のときは屋内に入れて止んだら外に出す。植木鉢も直径30cmくらいのものが常に5鉢以上あるので水やりだけでも大変なんですが、いろんな植物を育てていました。

ペットに関してはインコが大好きで、ヒナをペットショップで買ってきて育てていました。どうやらインコが好きな理由は「しゃべるから」らしく、見事に母親の英才教育の対象となり、毎日「おはよう、おはよう、おやすみ、おやすみ」とインコに話しかけていて、聞いている私のほうがノイローゼになりそうでした。
ヒナの間は赤ちゃん雛用のスポイトで餌を与えるのですが、まだ自分で食べることができないので、小さなかごに入れ職場まで毎日持ってき、昼休みにこっそり餌やりをしていました。インコが自分である程度食べられるようになるまで毎日です。職場の人もよく許してくれたな、と思います。犬OKの新しいベンチャーの会社はあると思いますが、70年続く老舗の会社でそれも60歳過ぎたおばちゃんがインコを職場に持ってくる。たまにピヨピヨ鳴く。私は見ててヒヤヒヤしてました。
でも周りの目なんて気にしない、そんな母親なんです。

そんな母が私が大学入学してまもなく、「里親になりたい」そう言い始めました。

血の繋がりの意味

最初は反対しました。また突発的に何か言ってるぞ、と。母は当時数年前に初期の乳がんを患い、手術後。私もまだ大学に入ったばかり。万が一母に何かあったら私が育てるのか。自分の子供もまだいないから育児なんてわからない。まだ医者にもなっていない。経済的にも時間的にも難しい、そう思いました。そして、どんな里子が来るかわからないよ?育てるの大変かもよ?自分も病気したばかりでしょ?ちゃんと考えてよ。そう母親に言いました。

すると「自分の子だってどんな子が生まれるかわからないのよ。うちはそんなに裕福ではないけれど、もう一人育てるくらいのお金と、愛情だけはいっぱいある。だからうちに来たいと思ってくれる子がいたら、その子を育てて幸せにしたい。これだけは絶対したいの。」と返事が返ってきました。

それ以上私は何も言えませんでした。霧が晴れたようでした。
そうか。自分の子供であっても子供は子供の人格があり、そこに血が繋がっているというのは一つの要素でしかない。逆に自分の子供なら100%大丈夫、他人の子なら100%ダメな事ってないんじゃないか。
私はアメリカに住んでいたのでadoptionしている家庭を何組も見てきました。全く違和感がなかったし、何不自由ない、普通の家族として受け入れていた。そういう環境にいたのに完全に忘れていた。なんで母に考え直してほしいと言ってしまったのか。反省しました。

その後母とは何回も話し合いを行い、その意志が確固たるものだとわかりました。何かあったら私が支えよう。母が望む人生を送れるようにしっかりとサポートしよう。そう決めました。

続きは里子が来るまで第2段で書きたいと思います。






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