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受胎と出産の神秘

7月26日は銀河新年。

普段特に意識して生活しているわけではないけれど、この時期は私にとって一番意味のある日、私が子を生んだ日、が毎年やってくるので自然と印象に残る。

人生で一番確かに、その瞬間、にいたあの一瞬。あれから25年も経って、身体の痛みの記憶はすっかり薄らいだ。その時の思いの記憶も薄らいでいく。けれど、あの時の感覚は私の中に強く残っている、という実感がある。新しい生命が誕生した、奇跡の眩しく強烈な感じ。この生命との縁はもう何生も何生も繰り返し続いてきている。また会えた、今世でもまた一緒に生きていくことができる。私という魂にとっていなくてはならない生命を今世ではその母となって生むことができた。ああよかった、神様ありがとうございます。と、実際に思いとして自覚していたわけではなかったけれど、、、わかっていた。受胎と出産の神秘。

子供を生んだこの日を界に、私は成長を始めた。それまでの20数年間は序奏で、ここからが私という魂の今世での本番始まり。

先日ある記事で、子供を生んで前より幸せになったか、という質疑が取り上げられ、ほとんどの子供を持つ大人が、よかった、と答えている、と読んだ。”幸せかなんなのかはわからない。自分の時間はないし、好きなところに好きな仲間と行く自由も、睡眠時間さえ奪われた。それでも、子供と生きていく人生は素晴らしい” と大半の親が答えた、と。

本能で選択している、導かれている。子を生み育てる中で、私たちは確実にその生命とも自分とも本気で向き合う。

この社会に貢献できること、子を育てて将来に向けて送り出すこと。その機会を親となることで無条件に与えてもらえたことを、心から有難いと思う。



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