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ディバイン フェミニン

一年以上もブログエントリーをアップしなかったのは、昨年いっぱいかけて本を書いていたからだ。今春発売予定の本のことは後日お知らせするとして、今回は暦の上でも新年ということもあり、このテーマ、ディバイン フェミニンについて書きます。

ディバイン フェミニン divine femimine という言葉は日本ではまだ耳慣れない用語かもしれないが、英語圏では近年特に注目されているコンセプトの一つと言えるだろう。divine 神聖な feminine 女性性。言い換えれば女神性。たおやかで包容力に溢れ、優しさと慈愛に満ち、癒しと無条件の愛を携えて微笑む女神。ヴィーナス、マグダラのマリア、イシス、イナンナ、瀬織津姫。そんな女神像が今、私たち、女性に限らず男性にも一人一人の内面の性質として求められている、という。

誤解のないように言っておくと、私はLGBT支持者ではないし、それぞれの性別の特徴的良さを大切にしたいしそれが自然だと常日頃思っている。「男性にもディバイン フェミニンを」というのは性質の話であり、そもそも私たちは皆、自身のクオリテイとして男性性と女性性の両方を併せ持っている。とは言え私も数年前までそんな理念は全くなく、ある日、瞑想会で投げかけられた「自身の中にある女性性、男性性、それぞれどうみえていますか?」という問いかけが大変新鮮に聞こえた。

あなたは、あなたという存在が内包している女性性、男性性、どう見ていますか?

陰陽に例えれば、女性性が陰で静かで内向き、穏やかで情感的、内包的なのに対し、男性性は陽で賑やかで外向き、激しく行動的、突出する。陰と陽のバランスをとりながらこの世の全ては存在し、私たち個人もまた然り。

女性であるから女性性のみでいいというわけでも、男性だから男性性のみでいいというわけではない。バランスよく統合されてこそ自己の内面でも調和された心地よい状態になる。自身が心地よい状態でいれば、それは周りにも波及していき、自然と世の中に貢献できる。

ここで視点をマクロに変えて、自己の内面から目線を移して、地球という星と宇宙から見てみよう。母なる地球、母なる大地、母なる自然、母なる海、、。ここでいう母とは、ディバイン マザー 「神聖なる母」であり私たち個人の母とは違うが、母に例えられるものはこのように私たちにとってなくてはならない生命の源、命の根源と言える。何があっても無条件に受け入れ大きな愛で包みこみ癒してくれる高次元の母。

海を汚染し、大地に農薬を撒き、自然を凌駕し、地球への敬いを忘れた人類に、それでもディバイン マザーは持ちこたえてくれている。悲しみに打ちひしがれ諦めることなく、彼女の子である人類への信頼をやめない。

そんなディバイン マザーの無条件の愛に、なぜ多くの人は気付かずにいるのか?なぜ地球に害ある行為を続けているのか?

それは、自身の内なるディバイン フェミニン「神聖なる女性性」を遮断しているからだと私は思う。ディバイン マザーにはなくてディバイン フェミニンにあるもの、それは統合、セクシュアリティだ。ディバイン フェミニンは統合のエナジーでもあるのだ。

内面のディバイン フェミニンを取り戻すことによって、自身の内側でせめぎ合っていた、あるいは蔑ろにしてきた自己の性質が受容され、己の統合が起こる。そして内面がバランスのとれた調和された状態になる。それは大きな癒しをもたらし、浄化とともにそれまで気付くことのできなかった母、ディバイン マザーの悲しみに目を向けることができるようになる。彼女の無限なる愛を受け入れることができる。

ディバイン フェミニン、それは内観と自己受容、自分を愛することで取り戻せる。セクシュアリティは長い歴史の中で否定され阻害され誤った概念を埋め込まれてきたものなのだと気付き、その真理は新たな生命を生み出すための聖なるもの、神聖なる儀式なのだと思い出した時、私たちは大きく変われる。人類の意識が変わり世界は変わる。

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