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愛するということ

エーリヒ・フロムが書いた”愛するということ” を初めて読んだのが30代前半。私が離婚を決断する上で大きな意味をしめた本だ。

アンダーラインを引いて付箋も貼って、数年ごとに思いたってまた読み返した。息子が思春期に差し掛かった頃、何かしらの指標になればいいなと思いプレゼントしたりもした。

自分で本を書くにあたりやっぱり愛について書きたいと思ったのはこの本のインパクトが大きかったからだし、フロムが書いたように、愛は学ぶことができる哲学だと多くの人に知ってほしいとも思ったからだ。

フロムが ”愛するということ”に込めたメッセージ。
私たち現代人は、愛に渇えつつも、現実にはエネルギーの大半を、成功、威信、金、権力といった目標のために費やし、愛する技術を学ぼうとはしない。愛こそが現実の社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術である。

その最高の技術を、”愛道”として学ぶための書として書いたのが "Embracing the Art of Love"です。

英語で書いたのは、当時ハワイに住んでいたためでもあるけれど、私の中に、日本人として ”ナメンナヨ” 的な感覚がアメリカ人、西洋人に対してあったからだと思う。カリフォルニアに10年、ハワイに8年住んだ私には、アメリカという国に対しての憧れが当初はあったし、今でもあの自由な文化と勢いの良さにある種の爽快感を感じてもいる。けれど、いつ頃からだろう、そこに強引さと子供っぽい無神経さを感じるようになったのは。それが、実はある種の自信のなさからくるものだと気付いたのは。あのしばし横柄な傲慢にも取られかねない態度は歴史の浅さからくる安定感のなさ、不安感の裏返しなのだと。

それは、中国人の無遠慮さとは似て非なるもので、中国の民衆が戦争と文化大革命を経て身を守るために武器のようにまとう強い不信感、絶望感からくるものだと、これもまた北京と台湾に生活していた頃の経験を通して感じたことだ。

それぞれの人種、歴史、文化背景があってその国民性は形成されている。

我々日本人はどうか。日本という母国の閉塞感、抑圧感が嫌で海外に暮らし、まさか戻ってくるとは思ってもいなかった。けれど25年という歳月が教えてくれた。日本人でいることの凄さを。

だからあえて英語で書いたのだ。Embracing the Art of Love という愛道の本が、この春出版になる。そして日本語でも書こうという思いで、今また新たなスタート地点にたっている。25年ぶりに帰ってきたこの国で、日本語という自分の言語で。

愛について学ぶこと。愛することこそが私たちが幸でいるための光だと信じているから。


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