友達の友達は友達ではない
真っ向から、笑っていいとも!を否定するような物言い。
排他的に聞こえるかもしれませんが、ご心配なく、大人のnoteです。
大人のnote!いやらしいのを期待されると、実力不足です。女性としての色は無色ですが、人間臭さ方面のいやらしさはかなり蓄えてます。
子供の頃、いや、誤魔化してはいけないな。
中学生の頃、「ねえねえ、あの子、なんか嫌じゃない?無視しようよ」と言われて、言われた通りに、同級生を無視したことがあります。
言われて仕方なくとかではなく、言われたからなんとなく嫌いになって、なんとなく無視して、なんとなく距離ができました。
彼女はその後、部活を辞めました。
なんにも悪くないのに。なんにも落ち度はないのに。
私はその時の後ろ黒い自分を忘れたことがありません。
私に無視をけしかけたあの子が悪いのではなく、自分が仲間外れになりたくないと、安易に自分の気持ちを人に寄せた自分が許せないまま大人になりました。
もう、絶対に許してもらうことができない。
みんなに透明人間扱いされたあの子が、その後どんな人生を送っているのかもわかりません。
知るのが怖いということもあります。いつまでもあの後ろめたさは私のどこかを侵食し続けるし、それが罪滅ぼしだなんて、口が裂けても言えません。
大人になっても、仲間外れはあることを知りました。
ダメ。絶対。と言われてなくなるようなものではない。現にいじめはウヨウヨしています。
友達の友達は友達という考え方は、私にあの頃の、じんわりとした仲間意識の強要やしがらみを感じさせます。
もちろん、そんな意味のある言葉ではなく、きっと世界平和をイメージする明るいキャッチコピーです。
あなたもあなたも、手を繋げればそれが1番ハッピーです。
ただ、私は友達の友達は、友達の友達でそれ以下でも以上でもない。と考えています。
私には私の友達の道のりがあります。
ショートカットはしない。そう決めています。
1対1のお付き合いを、信用できる方と積み重ねていきたい。と強く思っています。
それは、友達の人間関係に影響されたり、刺激されたりするものではなく、あくまで私の意思や目を基調にするものです。
今、情報が溢れている時代で、なんとなく知った気になったり、朧げに印象操作をされることが増えました。
自分の目や耳より、知らない誰かの思いつきや、気分に左右されるようなことが往々にしてあります。
だからこそ、私はあの頃の私を忘れることがありません。
誰かを傷つけた過去はないものにはできません。
人間関係の構築には、努力が必要です。
相手を知りたいという好奇心の発動は調整も必要です。
知りたがられることには、喜びと恐れが常に隣り合わせです。
思いやりも必要です。それがほんのりと熱を帯びるのが適切です。無理に絞り出したものは、たいてい冷めています。
友達の友達は友達ではない。
noteの私のご近所には、その法則がまかり通る人が住んでいます。
私の身勝手に見えるであろう人との距離感に理解を示し、進言されることもありません。
そのことを、いつも感謝しています。
ありがとうと思っています。
これは、大人のnoteです。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。