トットちゃんのお弁当
小学校4年生のころ。
黒柳徹子さんの「窓際のトットちゃん」という自伝を読んだ。
2段ベッドの下で、夜寝る前に読むと、トットちゃんの自由で伸びやかな個性にうっとりした。
いいなあと。出てくる大人も魅力的で、トットちゃんが少しユニークなところを許されていることに、羨ましいなあと思っていたように記憶している。
しかし、その時の私に滲んだのは、その軽快で幸せな部分よりも戦争の影だった。
トットちゃんに描かれる戦争が、日常に侵食する描写だけが、自分の体を
暗く不安に染め上げていった。
もやもやと暗黒が募る。
たった今の私の毎日の足元から、じわじわと漠然とした恐ろしいものがせりあがり、やがて息が苦しくなる。
急に戦争になったらどうしよう。
ノストラダムスの大予言は戦争のことかもしれない。
トットちゃんだって、急に戦争に襲われたんだ。
B29が飛んできて、暗い夜に爆弾を落とされたら、私も死んでしまうんだろう。
苦しいよね。熱いよね。家族も死んじゃうんだろうか。妹はベッドの上で
大丈夫だろうか。上手く逃げられるかな。ちゃんと手を引けるかな。
そんなことを取り留めもなく考え出すと、眠れなくなった。
枕をもって、両親が休む部屋に行く。
「おかあさん、一緒に寝てもいい?」と布団に潜り込む。
10歳にもなる娘が、一緒に寝たいと言い出した時、母はどう思っていたのだろう。
もう覚えてもいないかもな。
いいよいいよと、お布団を分けてギュっとしてくれたこと。
それで何となくうやむやにしてそのうちに寝息をたてたこと。
窓際のトットちゃんは、私にそういう思い出を残してくれた本である。
そしてもう一つ、今も私にしみこむトットちゃんがある。
正しくはトットちゃんのお母さんだ。
記憶の中だけで話をする。読み返すことができない。読み返し、またあの漠然とした不安と、大人になったからといってうまく対処できるかわからないから。
正しくないこともあるかもしれないが、ご容赦願いたい。
トットちゃんのお母さんが、戦中か戦後かは不確かだが、トットちゃんに
お弁当を作る場面がある。思うような食材が手に入らずに、それでもトットちゃんに美味しいお弁当を作ろうと奮闘するお母さんは、お弁当に必ず
海のものと山のものを入れる。
例えば昆布のごままぶしと梅干。例えば佃煮のりと、お芋の煮たもの。
海のものと山のもの。その両方の恵みをトットちゃんの体に贈る。
私は毎日お弁当を作りながら、海のものと山のものが入っているか確認する。
肉巻きは山のもの。焼いた鮭は海のもの。
卵焼きは山のもの。カニカマサラダは海のもの。みたいに。
そんな風に、海のものと山のものが両方入るように心がける。
蓋を閉じるときに、今日も大丈夫と思う。
トットちゃんのお母さんが教えてくれたこと。
私の中には、心から戦争を恐れ忌み嫌う精神と、
海と山からの恩恵を子供に与えたいという愛情が、
染みている。
トットちゃんは今も私の中に生きている。
黒柳徹子さんはテレビの中で生きている。
同じ時代を生きていることをとても光栄に
感じている。
追伸
見出しは500mlさんのギャラリーからお借りしました。
私が、気合いを入れて書くときに、500mlさんのギャラリーを覗きます。
500mlさんのイラストは、私をぐっと前に押し出して優しくふわっと飛べる翼をプレゼントしてくれます。
自分のnoteがちょっとおめかしして、遠くに飛びたいと願うとき、おすすめです。
500mlさん、いつもありがとうございます😊
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。