未経験の主張
私は驚くほどに、波風の少ない人生を歩んでいると自覚している。
それは取り立てて文章にするようなことはないと見栄を切るのと一緒である。
とりたてたアクシデントに見舞われることもなく、人の悪意に侵食されることもなく、一晩で人生が変わるような出来事も経験していない。
身体も丈夫で、家族に恵まれ、周囲の人にも支えられて今がある。
今後の人生、例えば明日がどうなるかはわからないけれど、今、現在、自分の道のりに対してありがとうございます。と思っている。
不(あらず)の匙加減というnoteにも書いたが、
人は人生の中の試練や経験則を、人と比較して推しはかることがある。
辛苦や混迷や葛藤。痛みや苦しみ。その経験則は、人生において差異がある。
わかりやすく誤解を恐れずに言えば、自分よりも苦労をしている人に対して、畏怖の念を抱き、後ろめたさを抱えて、そして心の片隅で、己の取り立てて語るべきことのない運命をありがたく思う。
私には受け止めるべく器がないから、自分の人生には降り掛からなかった、受け取ることのなかった試練をぼんやりとしか思うことができない。
過去、私は人よりも試練がない人生を卑下していたこともある。感謝よりもどこかで誰かに申し訳ないと、コソコソしていた時代もある。
今は、違う。
それは、やはり聞いてもらえたことが大きいのではないかと思う。
以前、現役保育士をしながら、YouTubeでも活躍されているてぃ先生という方が
「子育てしたことないくせに、自分の子供がいないくせに、分かったような口を聞かないでほしいと言われるのですが、だからわかることもあるんですよね」といった趣旨の発言をされていたインタビューを読んだ時のことを忘れられない。
同じ経験則があれば、共感や結束は得やすい。
互いに思いやることができるし、葛藤に寄り添ってもらうことに対しても抵抗は薄い。
ただし、全く経験がない人に意見されるのは反発を招きやすい。
大抵は、わかってない、知らないくせにと跳ね除けられる。
それでも、経験がないから見える景色がある。
それを、あのね、もしかしたらね。と明らかにして、ありがとう、救われたよ。と返してもらえたら、あなたはどう思うだろう。
てぃ先生は、僕が毎日どれだけたくさんの子どもたちと向かい合っているとお思いですか?と
話していた。
沢山の子供達の生育を見つめ、日々を過ごしているであろうてぃ先生には、もはや、目の前にいる子どもは自分が関与した子どもで、大事で特別な子ども達である。
思い、気づき、発信することは、親にはわからなかった何かであることが必ずある。
経験則のあるなしで、コミュニティが閉じてしまうことも、耳栓をしてしまうことも、その人の自由である。
ただ、換気のない部屋をいつまで安全で快適だと信じられますか?と個人的には思ってもいる。
実は、あなたには本当のことなんて何もわからないじゃない。と突っぱねる人は恐れている。
自分が否定されることを恐れているのだと思う。
本当のことなんて何もわからないわたしは、その言葉に過剰に傷ついたこともあるが、今ならば、確かにな、それでもなと思える。
それも聞いてもらえたからである。
新潟にnoteの友人達が来た時に、私がnoteで1番驚くのは、未経験の私の話を、みんなが心を開いて受け止めてくれることだ。と話した。
かすみさんも、あやしもさんも、くまさんも、バクゼンさんも、そこに居合わせなかったあの人、この人。
たいした人生経験のない私の思う、あんなこと、こんなこと。
人から見たら出過ぎたことも、どの口がおっしゃる?ということも。
いいと思うよ。と認めてくれた。
誰かの心の窓を開けに行くには
外からノックしかできません。
ノックした私に、鍵を開けてくれた人がいます。
おだんごさん、話を聞くよ。と受け入れてくれた人がいます。
開いた窓から新しい空気がはいる。室内の温まった空気を、私はこちらから思い切り吸い込む。
肺に広がる空気は、私の知らない温度になって
またじんわりと、私を温めるのです。
未経験の主張。
おだんごちゃんに出会えてよかったよ。と言ってくれる全ての人が
私のノックに鍵を開けてくれた人です。
☆☆☆
こちらは今月の中川貴雄さんとのコラボnoteです。朝、中川さんに更新を伝えると、お昼休みにはこのイラストが届いていました!!!
配達がはやい!!!
空は広い、風は吹いて、雲は流れていきます。
言葉でしか繋がれない世界にも、こんな爽やかな世界が広がっているよ。くまくんの囁きが聞こえます!
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。