嫌いな人しか覚えていない
高齢者福祉の仕事に携わり20数年。
若い頃のことはよく覚えているのに、最近のことを忘れがちです。
沢山の方と出会い、別れましたが、よくよく首を傾げたくなるのは、嫌いだった人しかフルネームで覚えていない。という事実です。
記憶力とは。
実に不可解です。
ご利用者に好き嫌いがあるなぞけしからん。というご批判がある方。
ごもっともです。ただ謝る気はありません。
ごもっとものことを読みたければ、ここにお立ち寄りいただいたことは、実に申し訳ないのですが間違いです。
私は、自分の気持ちを書いていますので。
続けます。
ご利用者の中には、相性の合わない方がいました。
高圧的で、いばりんぼう。とか
攻撃的で、乱暴とか
とにかくいつも機嫌が悪く、
とにかく絶対風呂に入らないとか。
今なら、また違った見方もできます。
満たされないものや、隠された寂しさに想いを寄せることができるのですが、当時は若くて余裕も知識も追いつかず、イライラしていました。
ありがとうと言ってもらう仕事だと思って選択している時点で、私の性格には問題があります。
承認欲求が高い。ということです。
認められたい、役に立ちたい。と思って仕事をするということは、お金も感謝も人様から貰おうとしているのです。
強欲ですね。私は自分をそう思っています。
勝ち気で強欲なので、私はご利用者さんとも喧嘩をしたりしていました。
中でも、本当に苦手な人がいました。こちらの言うことは何も聞いてくれない。コールを鳴らさずに勝手に動いては転ぶ。転べば報告書の作成や対応策の検討という仕事が増える。おむつは引きちぎる。毎回失禁しては、着替えを手伝う。着替えの最中に、袖を通すと抜いたり、こちらをこずいて抵抗する。朝の忙しい時に、さっき変えたばかりのオムツを外されて失禁され、ベッドマットレスまで汚れていた時の絶望は計り知れません。
不機嫌は、私とその人の間で永遠にキャッチボールされていました。
大嫌い。そう思っていました。
ただその人が違う顔を見せることがありました。
娘さんの面会です。
娘さんは穏やかに、どこまでもその人の話を聞いていました。
気の済むまで、園庭を車椅子を押して散歩していました。
娘さんは、私たちの日頃の説明にいつも頭を下げてらっしゃいました。
ただ、父親に対して咎めたり制するようなことはいいませんでした。
説き伏せるようなことは無意味だと知ってらしたのだと思います。
まだまだ未熟だった私はそれにもイライラしました。
家族なら意見してくれてもいいのに。と不服でした。
たまに来ていい顔するならいくらでもできるよ。と悪態をつきそうになるのは、流石に心で留めました。
今ならわかります。
自分の間違いも不甲斐なさも。
喧嘩するよりも向き合う方法があったことを。
嫌いな人は、もう決して戻れない過去から
私をいつも見つめているように思います。
許されない過去は、ずっとこびりついていて
謝れない間違いは、焦げついたままです。
嫌いな人しか覚えていないのは、苦いからですかね。
嫌いな人しか覚えていないのは、後悔が今の根っこになっているからですかね。
記憶力とは。
優秀な仕組みだと思います。
本当に手のかからない、穏やかで優しい人を忘れてしまうんです。
それはね、ちょっと。
残念で面白くないなとも思っています。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。