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まじかよ
今年度1ヶ月に1回、会議に出ている。
経営に若手や中堅の意見を反映させたい。という狙いで、すでに47歳の私がピックアップされている時点でどうかしていると思う。
だいたいにして、私の所属している法人は、私とそりが合わない。
私は私の人生の大半を費やしてきたこの組織が
残念ながら好きではないのだ。
好きではない場所で25年。どうかしているのは実は私だとも自覚している。
今後、我が法人がどのように事業を展開すべきか。
忌憚なきご意見を。との前口上でスタートするも
重鎮中の重鎮がお目付け役兼、司会進行で参加しており、忌憚なきご意見を述べると
しかし。か ああそれはね。の説明で木っ端微塵にされるという無益なやりとりをしている。
結局のところ、変えたいわけではないのだろうし、吸い上げたいわけでもないだろうし、自分達のやり方に意見されれば、言い訳はしたいのだろうと思う。
上層部はもう自分達のゴールが見えているからなのか悠然としているように見える。
いくら大変だ、窮地だと口にしながらも、どうにかなるとたかを括っているように見えてしまう。
なぜそんなに変わらなくてもいいことにしがみつけるのか?と質問したいが、いくらパソコンの前というクッションがあっても口に出すことができない。
うっすら笑って頷く自分を画面で見るたびに、最低。とも思う。
私はそこまで自分の組織に対する覚悟がないし、そういう自分を心底かっこ悪いと思う。
変わらないのは上層部だけでなく、私自身だ。
現場の意見に耳を傾けているという実績だけあればよいのだろうなと勘づいている。私だけではない。ピックアップされたメンバーは、気づいている。
私たちはとりあえずそこに参加してさえいればよい。
聞かれたことに答えればよい。回を重ねるうちにそういう雰囲気がパソコンの中の小窓に映る参加者から漂うようになった。
ただ、わざわざみんなが多忙な業務の時間を割いて会議に出ている。
会議に出ている間に、現場を担当してくれているたくさんの職員がいる。
画面には映らないたくさんの人の鬱屈とした想いを知っている。
ただ相槌をうつだけでいいのかよ。と自分に問いただす。
いいわけないよね。
会議の最後に、何か、なんでも意見があれば。と問われた。
手を上げた。
私はこの会議の中で手応えが1ミリもありません。
私たちが求められて意見を述べることが、中長期の事業計画にどんなふうに反映されるのか、全くイメージができないんです。
このまま1年たって、この会議でこれを成し得たという具体的な何かを提示できなければ、会議に出るために協力してくれている現場の職員をがっかりさせてしまうと思います。
自分の首を絞めるようなことにもなりますが、一度zoomではなく、皆さんで会って話しませんか。
そして具体的に変えられるものについて焦点を定めて話ができないでしょうか。
zoomの画面が一瞬静止画に見えた。
私は求められていない波風を立てたことを理解したし、だけど後悔もなかった。
また、面倒くさい人になっちゃったな。と思った。元々面倒くさいと思われているので、それが役割だと背負うしかない。
業務が忙しい現場からは余計なことを言うなと思われただろうし、
重鎮からは、鼻につくだろうし。
次の会議に反映されるかはわからない。
ただみんなで会って話すことさえも
理由をつけて断られるかもしれない。
でも、私にも意地がある。
反りが合わない組織にご飯を食べさせてもらい、子育てを支えてもらい、私の生きるの大半がここと共にあったのだ。
文句は積み上げれば富士山になるし、不満は垂れ流せば日本海で、悪口も尽き果てる。
だから、面倒くさいを全うして、少しは役に立ちたいと思う。
結局、組織は人の集まりで、私の好きな人もたくさんいるのだ。
まじかよ。と思う。
出過ぎたこと言ったな。とも思う。
馬鹿だな。とも思う。
賢くなんなよ。とも思う。
反面、まじかよ!これからだな。と肩を叩く私もいるから、自分という生き物は厄介だなと思う。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。