奏の季節
かなでという歌があります。ご存知の方もいるでしょう。
ちなみにかなでさんというともだちもいます。
3時のヒロインではなくnoteのヒロインです。
元気ですかー?!(アントニオ猪木さん風に元気よく音読)
たまに、会いたい人は名前を呼ぶことにしています。
というわけで寄り道雑談、おだんごです。
で、今日のかなでは奏というスキマスイッチの歌の話です。
恋の歌だとおもうのですが、私は子離れの歌だと思っています。スキマスイッチさんには申し訳ないのですが、次男がうちを出る、今から数年前の春にこのことに気づきました。
解釈には数万通り。スキマスイッチさんは許してくれるはずです。
一時期、出勤のカーステレオでこれをリピートしては泣きながら出勤するやばいおばさんでした。
山道で熱唱して泣くおばさんの軽自動車とすれ違ったら、私です。見ないふりしてください。
歌詞はこちら
(一部LINEミュージックのサイトより借用)
こないだまで手を繋いで歩いていたのに。
さよならをして離れていく。
導くことが使命だったけど、もう1人で歩いていけるんだもんね。
これからの道が険しくとも幸あれ。
みたいな解釈で、結果私は歌いながら泣きます。
そしてこう続きます。
君が僕の前に現れた日から
何もかもが違く見えた。
この歌詞は、熱烈な恋愛をしていなくとも
親になった人なら共感できるのではないか。
と私は勝手に思っていて、やっぱり子離れの
歌じゃんか…とまた勝手に泣くのです。
スキマスイッチもいい迷惑です。
勝手にナミダスイッチです。
子供からしてもね、いい迷惑でしょう。
ウザーいに決まってますよ。
しかし、しかしですね。
どこにいても繋がっているよ。と思わせてくれ。
と、私は思っています。
三男の自立が近づき、また奏の季節がやってきました。
徒歩通勤のため泣けません。
職場が近すぎて泣けません。
なんで、noteにこの気持ちを置いておこうと思います。
見出しはneLcoさんです。カエルダルマかしら。縁起のよいダルマの涙。
旅立ちのカウントダウンに祝意と刹那のミックスnoteです。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。