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障害と個性


昨日、車を運転中にふとしっくりきました。


以前より漠然と考えていた障害は個性か。という問いに対する自分の答えです。


バクゼンさんとのやりとりで、障害を個性だというには割り切れない想いがある。と仰るバクゼンさんをずっと心に留めていました。

私もそれには同感で、ただ何がどうしっくりこないのか、何にもやついているのかを、言葉に置き換えることができませんでした。


昨日、ふと舞い降りたそれは、私の視点として
今の私の解釈としてここに残しておこうと思います。


疾患や機能不全において、日常生活を送ることに支障を感じる状態を総じて、障害とします。


病気が同じでも、動かない機能が同じでも


そこにはそれぞれ別の生活があり


感情があります。


似ていても非なることをまず確認します。


障害があることは個性ではなく状態です。


その状態は、授くというよりは患う、もしくは煩いと私は考えています。


困難を伴うものを授くと表現することに


抵抗があるのが、私の心情です。


患うこと、煩いが自分に降りかかることに


どんなふうに向き合うのか


どんなふうに対し付き合っていくのか


その咀嚼、道のりが個性なのではないか。


というのが、今の私の解釈です。


煩いというのは厄介なものです。


厄介なものと対峙し、困難な状況に向き合い


そこで自分がどう振る舞うのか。


もちろん、その当人だけで個性は形成されないでしょう。


周囲の人や、環境が個性の形に影響を与えると考えています。


個性とは持って生まれたものが固まるのではなく


持って生まれたものが、肉をつけ、躍動しカタチを変え続けるものだと感じています。


誰にでも少なからず、人生には障害があり


躓きはあるでしょう。


人と壁の高さや、生きづらさを比べたところで


たいした意味はありません。


人は自分をどう生きるかしかできないから。


障害は個性ではない。障害は障害です。


障害を患い、それに対峙した自分のありようこそが個性。


いつかのバクゼンさんに送るnoteです。


私の思考、バクゼンさんに出発進行!という気持ちの、中川貴雄さんの見出しです。


#note
#バクゼンさんへ




お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。