305歳のクリスマス会
父の姉のところに顔を出しました。
90歳の叔母は一人暮らしをしていますが、とうとうその暮らしにピリオドが打たれることになりました。
本人はまだ知りません。
遠方に住む子供達が、自分達から話をするというので、もうこれが最後。という覚悟は自分のうちに秘めて、叔母の家を訪問しました。
ちなみに、一人暮らしの叔母の家に行く前に、
もう1人の叔母をピックアップします。
叔母が渋滞します。棲み分けがわかりやすいnoteがこちら。読むとわかりみが深くなりますが、読まなくともイメージできるよう努めますので、お付き合いを。
叔母を紹介します。
一人暮らしの90歳 さくおばちゃん。
おしゃべり世話焼き85歳 とこおばちゃん。
近いうちに、施設入居を予定しているのがさくおばちゃん。
近いうちに、施設入居するのをぽろっと本人にいいかねないのが、とこおばちゃん。です。
私は、とこおばちゃんをピックアップする際に、とこおばちゃんの倅さんから近況について
情報収集を行い、さくおばちゃんのところへ出かけました。
少し離れた場所にあるパン屋のパンを土産にしました。
玄関で挨拶しても聞こえないので、とこおばちゃんに続き、ズカズカ入ります。
おだんごだよ。わかる?と言うと
あらあらおだんごちゃん。わかる気がする。といいました。
わかってないな。と思いました。ただ、優しいことに変わりなし。
認知症には、取り繕いが上手になるという側面があります。
その瞬発力に、大体の人が騙されます。
ほら、こんなに気の利いた返事ができるのは、
まだまだぼけてないんだわ。
じゃありません。
理解を求められる時、わからないことを悟られないように、うまくかわしていくのは、生きるためです。
失われていく記憶を、補う能力が顔を出すと私は感じています。
ただ、その自分の取り繕いさえ忘れてしまう。
一瞬の嘘を繰り出せても、辻褄合わせに綻びが生じるのが、認知症状です。
ぽんぽんと軽快に言葉のやりとりができても、それをすぐに忘れてしまうことは、健やかな時にはありませんからね。
さくおばちゃんは、数日前に転倒し顔を怪我していました。
内出血はだいぶ変色し黄味がかっていましたが、大きな絆創膏を額にしていました。
「すごい顔だから見てきた方がいいと、風の噂を聞いてきた。」と私がいうと
へぇ?風にのったかい?と、さくおばちゃん。
手や足折るよりいいろ?と言いました。かなりのポジティブ。
まあ、そうかもね。と答えました。
転んだ時のこと、何も覚えてないみたいだ。ととこおばちゃん。
それでも電話で、とこおばちゃんに血が止まらないとSOSを出せたことが、お手柄でした。
3人でパンを食べていると、
ここんしょー、いたけー?
(訳:ここのうちの人、いたかな?)
と陽気な声が。近所に住むさくおばちゃんの
親友登場。
お客さんいると思わんでそー。
クリスマスしようかと思ってー。
ちっと、失敗したぜや、おれは、4つ買ってくればいかったねや。
元気に入ってきた、オミさん(仮名)は、
農協で買った398円のチキンを2パックと
ヤマザキのショートケーキ2個入りと
有田みかんのSサイズを一袋と、
カレーメシを2つ、ビニール袋に入れてやってきました。
全てのプレゼントを農協で賄う地産地消サンタ到来。
オミさん、83歳。イカしたチョイス。
お湯だけはある。さくおばちゃんちでのパーティーメニューとして最適解。
ただ、カレーメシは保存可能のため、ステイ。
わたしが買ってきたパンを、まあ、食べてください。
えー、悪いねー。とオミさんは言いながらも、私が渡したちくわパンをむしゃむしゃ食べて、うまいうまいと100点の食レポ。
オミさんと私は、今、初めて会ったとは思えない、ハーモニーを繰り広げました。
その間、さくおばちゃんは、ひたすらお茶入れからくり人形と化し、お茶を勧めてきました。
私をおしっこからくり人形にしようとしているとしか思えません。
チキンを食べやすくわけたり、2つのケーキを4つに分けたりして、洗い物を増やさないために、全部を爪楊枝で食べるクリスマス会。
テーブルに岩のりと、半分に切ったりんごが生のまま横たわるこたつでのクリスマス会。
並々と注がれる緑茶。少し出涸らし。
さくおばちゃんが、湯呑みに残ったお茶をゴミ箱に捨てるのが見えました。カオス。
それでも、高校生の駅伝をみながら
こんな飛んで跳ねる時期が最高だと言いながら、合計年齢305歳のクリスマス会は賑やかに終わりました。
帰る時、さくおばちゃんをぎゅっとしました。
おばちゃん、小さくなったね。
また、くるねと嘘をつきました。
おお、またおいで。とさくおばちゃんは言いました。
取り繕いが上手いのは私も同じです。
帰りの車で、最後だな。ととこおばちゃんが言いました。
だね。と答えました。
私が、小学生の頃。泊まりに来たタイミングで初潮を迎え、お赤飯を炊いてくれたことを思い出しました。
お嫁に行く前日に、母と2人泊めてもらったのもさくおばちゃんの家でした。
私にとって、祖母のようでもあった叔母は、この一人暮らしを、自分の知らないうちに閉じる日を迎えようとしています。
多分、混乱も抵抗もするでしょう。
暮らしは砦でした。さくおばちゃんの全てでした。
305歳のクリスマス会。
忘れないよ、おばちゃん。
お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。