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風が吹いていた


長く長く続く一本道は、先が見えない。


来る時には途方もなく感じた距離は、


帰りには驚くほどに大したことなく感じる。


経験とは、人の感覚を簡単に変える。


3月30日の私と、4月1日の私でさえこうも違う。


4月1日。三番目の息子の引っ越しを終えて、私達夫婦はその日に自宅への帰路につくことにしていた。


朝、3人で近所で美味しいと評判のパンと


甘いカフェオレを飲んだ。


ただしくは、息子はパンには手をつけず、


カフェオレは断られた。


この引っ越しの数日で、徐々に口数が少なくなり、時折冷めた表情を見せていた。


私も、次から次へと日用品や生活雑貨に姿を変えていく、財布から消えゆくお金の減りをみながら、増えていくレシートに心が荒んでいた。


夫も、その場しのぎの買い物の尻拭いで、
家具を組み立てては調整し、Wi-Fiの設定やら
パソコンの起動やら、帰るまでに整えてやりたいことに追われていた。


みんなが焦燥と喪失に囚われていたし、そのことに気づかないふりをして、無理をしていたから、気持ちはゆっくり少しずつ崩れていった。


最後だから、機嫌良くにこやかに気持ちよく。

どんなに自分にいい聞かせても、そう思っていても、うまく振る舞えないのは家族だから。


家族だから。なんじゃないかな。


これ以上は、もう一緒にいない方がいいね。


別れがそこにいるのに、もう見ないふりはできないんだ。


それは、きっと、3人ともにそう思っていたように思う。


予定より1時間早く、息子のアパートを出ることにした。


3人で写真を撮った。3人とも笑っていた。


家族だからね。


知ってるんだ。残るものには、ありたい自分達を見せればいい。


未来の私達はかなりの忘れん坊で、この写真を見たら、昨日の炭火の美味すぎたラムや、優しすぎる大家さんや、市役所で自分で手続きを済ませる息子の背中なんかを思い出すだろう。


たった今のギクシャクや、言うに言えない寂しさから派生する苛立ちなんかはきっと思い出さない。

ごはんはしっかり食べるんだよ。とか、ボイラーは消して休むんだよ。とか余計なことを言いたくなることばかりを飲み込みすぎて、胃もたれしていることも。


人はどこまでも自分に都合よくできているんだ。


それでこそだ。この数日の機嫌のよい粒子を集めた笑顔が、この引っ越しの思い出を彩ればよい。


握手をした。バイバイとあっさりと玄関で別れた。


外は雨降りで、冷たい空気が春は嘘だと言っているように見えた。


見上げた扉がまた開くことはない。


帰りの車内から、息子が住む街にシャッターをきる。


結局、観光の一つもできなかった。


目で見る景色をそのまま残すことができなかった。切り取るとなぜか物悲しく見えた。


しばらく走ると、LINE通知が来た。


息子からのLINEは、夫と私に同じ文面で届いた。


黙読して、私がタオルを目に当てると


運転している夫が、読み上げろと言うので音読した。


夫が、ティッシュを繰り出している。


車の中ではいきものがかりが流れていた。


更新されていないカーステレオに残る音楽は


子供達がまだワイワイと後部座席に乗り込んでいた頃の流行歌だった。


お腹の底から熱くなり、下から込み上げるような感情のうねりは、涙になって、嗚咽になった。


こんなこと言われたらしょうがないよ。


こんなはずじゃなかったのに。


寂しいね、寂しいな。


いきものがかりのせいだ。こんな時にいきものがかりは、ずるいじゃないか。


私達は、随分と歳を重ねてしまった。


助手席から振り返り、覗きこむ寝顔はもうない。


お母さんと呼ぶ声はない。


車内ではいい中年が2人並んで泣いているだけだ。


長く長く続く一本道は、先が見えないが


果てしなく左右に広がる荒涼とした大地は


ただただしんと、凛としているが


私達は、この地に背を向けて通り過ぎるしかない。


風は吹いている。


それは私には向かい風のようにばかり感じる。


ただ、この地に残る息子には


追い風になるのかもしれない。


いきものがかりのおかげで泣くことができた。


決して、息子が


沢山の幸せをありがとう。と書いてくれたからではない。


だって、それはさ、お母のセリフじゃんか。

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お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。