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涙がぽろり


仕事の話をします。


ぎんこさん(仮名)は92歳。


月に1回訪問すると、ぎんこさんは必ず塗り絵をしています。


それはそれは細かい花の絵を、陰影を色鉛筆で細部まで表現して塗っていて、毎回感嘆の声を上げてしまいます。


葉っぱの緑が陽の光が当たっているみたい。
こんな風に塗れたら、私も塗り絵するのになあ。と褒めると


誰でもできますよ。と照れています。


随分と前からもうすぐ88になるんだよ。と私に教えてくれています。


じさはどこいったかな、先に死んだかな。あの箱の中にいるかな。と指差す先にはお菓子の小箱。


冗談ではなく、ぎんこさんはまじめです。


私はぎんこさんと、旦那さんの金一さんの担当でしたが、金一さんは昨年お亡くなりになりました。


ぎんこさんは、金一さんが亡くなったことに、ずっと関心がありません。


お葬式もぼんやりといつも通りにお過ごしで
取り乱すことも涙をながすこともありませんでした。


金一さんは生前、ぎんこの相手は疲れてかなわん。と苦笑いをしていました。


俺より若いのに、こんなにぼけて。とため息をついていました。


金一さんは、私がお邪魔した時にたいてい本を読んでいました。Googleの創業者の歩みを書かれた本を見かけて驚くと、


おだんごさんのおすすめの本を貸してくれよ。と言いました。


「あきらめない」という、鎌田實先生の本が
紙袋に入っています。お貸しすることの叶わぬまま、金一さんは入院して、一度も自宅に帰ることなく、亡くなりました。


もう決してお渡しできないのに。


紙袋に今も入れたまま、本棚の脇に置いてあります。


ぎんこさんは、デイサービスに行くことをやめました。


週1回のデイサービスなのに、毎日朝から晩まで、「今日はデイサービス?」と何万回も繰り返すぎんこさんに、娘さんが疲れてしまいました。


今は月に一度、短いお泊まりを利用しています。



ぎんこさんは、私が訪問すると、ずっと同じ話を繰り返します。


時に40歳でお母さんが亡くなったことだったり


子供の時、オール優の成績だったことだったり、


娘によくしてもらっている。嫁ならこうはいかない。だったりします。


うんうん。とただ聞きます。


へーっ、そうだったの。と言います。


何回でも。


必ず日本茶を出してくださいます。


本来、お気遣い不要ですが、ぎんこさんとはお茶を飲むことにしています。


娘さんが、もう誰もお茶飲みにこないの。とこぼしたことがありました。


おだんごさんしか、母のお客さんがいないの。と言われました。


同じ話を繰り返す母のところに、お客さんが来ると、母を制したり、取り繕ったり、謝ったりしてね。気が気じゃないのよ。


娘さんの気苦労が痛いほどわかりました。


誰かと会うことで、訝しがられたり、決めつけられたりすることは、心をすり減らします。


それは、世界を小さくする方が、随分と生きやすいに繋がることでもあります。


私はぎんこさんの数少ない社会でした。


だから、お茶を飲むのです。


最近、ぎんこさんは


何の役にもたたないの。だからお迎えをまつだけよ。早く死ねればいいのにね。


と繰り返すようになりました。

まだまだ顔色も良いし大丈夫ですよ。とか


お迎えこないうちから、またそんな。とか


もう若いうちに役にたちすぎたから!とか


チャチャをいれるのですが、繰り返しは止みません。


娘さんが、悲しそうな顔になり、ちょっと怒ったように、


「そんなことばっかり言って、本当に、嫌だわばあちゃんは。」と強い口調になりました。


私は席をたち、ぎんこさんの隣に座りました。


「ぎんこさん、私はね、ぎんこさんが元気で生きていてくれるとね、こうしてぎんこさんの顔を見て、お茶をごちそうになることで、お給料をもらっているの。ぎんこさんが生きていると、私はごはんを食べられて、生きていけるの」


「だから、ぎんこさん。生きてるだけで私の役に立ってるよ」


と言いました。


娘さんが、目を潤ませて


「おだんごさんたら」と言いました。


「本当のことです。」と笑いました。


ぎんこさんは、涙をぽろりとこぼしました。


そして「それなら、またきてね」と言いました。


「また、きますとも。私はごはんを食べていくためにぎんこさんに会いに来ます。」と悪い顔で笑いました。


ぎんこさんも笑いました。


小さな世界にも扉はあるし、風通しをよくするだけで、なんだか広い場所に出たような気持ちになるんです。


そして、ぽろりと一粒ながれた涙が、また私を奮い立たせてくれることも本当です。


ぎんこさんは、今日もおこたで塗り絵をしているといいな。


金一さん、ぎんこさんは、元気だよ。


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お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。