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たべてもたべなくてもよい世界

夢を見た。

夢、はよく見る。

大抵は現実世界と酷似しており、登場人物も日常の地続きで、突飛なことは起こらず面接やブッキングやカンファレンスやらを眠りの中でも繰り返す、どれだけ仕事が好きなんだろう、というくらいそのバリエーションだった。(その職場はやめてしまったのだが。)

夢、というと思い出すのは夏目漱石の夢十夜。

特に第一夜は本当に本当に美しい文章がつらつらと並んでおり「死んだら、埋めてください。小さな桜貝で穴を掘って。」という読むだけだとたいそうロマンティックなものの、人間大の穴を桜貝で掘る労力を実現させるにはどれだけの時間と体力と精神力が必要なのか…を人に要求する女王様かフリークスか妖怪かの数値マックスな美しいヒロインの存在もとても好きで、例の三部作とかはあまり好きになれないけれどこの作品はとても好き。と思って一応久々に原文を見たら



”死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。”



真珠貝だった…。

そりゃそうか。桜貝、あんな爪の先ほどしかないもので、そもそも土すら掘れないではないか。諧謔的な。考えればわかることすら誤認したまま厚顔に好きと発する己を改めて…そうだったなぁと思う。だって桜貝だと思ったんだもん。

なんだっけ、そう夢の話だった。9割が現実社会を占める私の夢種別の中で、残りの1割は毎度同じ場所にいる、のの場所設定が5箇所ほどある。

目が覚めると直後はまたあそこに行ったなとわかるものの詳細が全く思い出せない。
ただ、その夢に入ると、ああまたここだ、次に会うのはあの人であの角を曲がれば…となるのが不思議。電脳コイルかよ。

だからね、こないだ久々に全然知らないところに初めて行ってとても驚きました。


そこは、見たことのある映像で言うならば、スターウォーズのジェダイ最高評議会のシーンが一番近い。

大きな楕円形のチューブに外に向いた巨大な穴が空いているようなところに遮る素材はなく、外の景色は雲だけだった。風圧も、高さ特有の酸素の薄さも感じず、壁から天井までは継ぎ目も角も隅もない明るめのトープからミルク色のグラデーション。

疑問も持たず、そこにいた。空間の中ほどにバーカウンターが存在している。

カウンターにはよく知っているあの女性が立っていた。いつも通りのおかっぱ。ペールピンクの継ぎ目のない服を着て、それがとてもよく似合っていた。国立新美術館で見たイッセイミヤケのプリーツプリーズとよく似ていた。(日常のその人がピンクを着ているのをみたことはなかったものの、なぜか違和感を感じなかった。夢だからというより似合っていて。)

そして、グラスはカラだった。

その時なぜかすごく納得したのだ。あぁ、ここはたべてもたべなくてもよい世界。飲んでも飲まなくても、会話をしてもしなくても。全てが等価。意味がないことも。幸福とか安寧とかいう概念的なものが粒子となって其処をみたしている。

表情を変えずに、でもその人が微笑んでいるということがわかる。そして私たちは、もう一人の女の子を待っているのだとわかる。わかるというより知っている、という感じ。

世界が色を変えていないのに桜貝の色が空間に充ちていると感じた。呼気の粒々を全て実態のように思う。蒟蒻畑クラッシュのような。自分と外とを分けるものがなく、存在しているのは存在していないのと同義ということがあるんだと知る。本来無一物という発想に近いのかもしれない、けれど私には初めから何もなかったこと今との違いはまだわかってはいない。


朝、目を覚ます。どのくらいの時間いたかわからない夢の中で、もう一人の女の子はまだ来なかった。ただ、そのことは特に問題ではなく、来るということと来たという状態、いまのところは来ていないという事態も等価という認識の仕方を事実として自分ができた瞬間がとても面白かった。インターステラーで初めて4次元を理解した時のような納得だった。


その夢には、再訪したことはまだない。けど、なんだかそのうちこの身体ごと、地続きに行ける場所のような気がしている。

そんな夢の話。落ちはない。

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