見出し画像

はむ、さきわう

兎に角、体感しないと何もわからないたちということか。そう知ったのが大人になり随分たってからだったもので、それを理解するまでに出会った人には随分と失礼を働いたと今更ながら頭が下がる。

しかも、飲み込みは多分早い方だったので、わかっていると勘違いしていたから余計手がつけられない。

感情がこもっていない、と指摘された日々をそっと振り返る。


仕方ないことだ。まさに「飲み込みが早い」は言い得て妙。喉を通過させ流し込むとなると、感覚器の使用は最小限ですむ。苦手な漢方薬を可能な限りの素早さで味覚に触れさせないまま処理する工程に素晴らしく近い一見合理的な行為。

でも違う。己に必要だったのは、出来るだけ多く噛み、なんなら反芻までしながらその余韻までを味わい尽くすこと、感覚器を総動員すること。あますことなく汲み取るために、接触点を増やすこと。

その儀式を経たら、その先で待っている世界に会うことができる。

それにしても面白いね。噛み続けることで硬質な外部組織が分解され、内側に秘められた数々の旨味がようやく顔を出すというそのステップ。

「喰む」の第二説明には損なうという言葉も記されており、「咀嚼」は理解の同義語として用いられる。

破壊への恐れと探求へ向かわせる好奇心とが離れ難く編み込まれた行為の先に、待っている世界が真理である、というイメージがたまらない。

そっと進むのだ。祝福だらけのヒントと喜びに満ち満ちているという喜びと祝福のその最中を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?