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インド旅行記_外国を旅する本

外国で思いがけず日本語の本に出会う。読んだことのない本でも、日本語で書かれているというだけで妙な親近感が沸く。わざわざ誰かがここまでこの本を日本から運んでいるのだ。誰か日本語を読む人が以前ここにいて、この本を読んでいた。

インドのアーユルヴェーダ病院にも日本語の本が置いてあった。以前滞在していた患者たちの忘れ物なのか置き土産なのだろう。旅行記やらファンタジーやらいくつかの本を借りて部屋で読む。ゆっくりと、仕事とは関係のない読書をするというのはいつぶりだろう。

オーストラリアの大学にいたときに友達の一人が、「ずっと読書が趣味だったのに研究を始めてから楽しみとしての読書ができなくなった。博士課程が終わったのでやっとこれで読書の趣味を取り戻せる」と言っていたのを思い出す。私も以前はよく小説を読んでいたが、大学院に進学してからは「楽しみ」として本を読むことができなくなっていた。

思い返せば本を読むようになったのは小学生の頃にアメリカ・カナダに滞在していた時だ。現在のように電子書籍でいつでもどこにいても日本語の本が読めるという時代ではない。「日本語」というのは外国に住んでいると定期的に摂取したくなる、とてもパワフルな栄養素となる。日本語の本となると、嵩張って重量もあるそれをわざわざ海を越えて運ばない限り読むことができない貴重品だ。現地の日本人の間で小説や漫画がぐるぐる回っていたのだと思うが、クレヨン王国シリーズをとにかくむさぶるように読んでいた。

日本に帰国してからの中学・高校時代も何をそんなに、というくらい電車の中でも、授業中も小説を読んでいた。それがいつの間にか実用書や学術書を手にとるようになり、仕事と関わりのある、目的のはっきりした読書へと置き換わっていく。特にオーストラリアの大学院では大量の図書課題が出るので、小説のように文章を味わいながら、冒頭から最後まで順番に読むというやり方では何もかもが追いつかない。必要なポイントだけ抽出して要約できるような独特のスキルが求められる。大学院での読書体験を経ると、何を読んでもメタな分析をしてしまうし、研究と結びつけてしまうようになる。小説や歌集など、文章の歩みと一緒にゆっくり歩くような読書の楽しさを長らく忘れていた。

アーユルヴェーダの治療中は暇になるだろうとは思っていたので、日本から何冊か「目的のある」本を持ってきていた。案の定、午前中の療法が終わると午後はあまりやることがなく、病院の敷地内を散歩するにしても20-30分もあれば十分であっという間に手持ち無沙汰の時間に放り込まれる。「目的のある」本を手に取ってみるがどうにも気が乗らない。頭も体も重だるく、目的のためのインプットというものをする気が全く湧いてこないのだ。

やることもないのでNetflixやらの動画リストをスクロールするが別に見たいものもない。wifiがよく落ちるということもあるが、アーユルヴェーダ治療中は不思議と電子端末を見たり触ったりする気が起きない。こういう時は本なのだよ、本。紙の本をぼんやりと読みたいのよ。肉や魚のようなガツンとしたものじゃなくて、もっとスープのようにさらさらと読めるものが欲しい。病院では日本語の本の貸し出しもしているというので借りることにした。

何気なく手にした本はどれも旅行に関連したエッセイだった。今の私がゴクゴク飲めるスープは旅行エッセイということのようだ。それにしても旅先で読む旅行記は妙に面白い。旅先でのハプニングとか、異国の人々の日常風景、馴染みのない石畳とか、乾いた空気によく合う食べ物の話。訪れている国は違うものの、自分が旅先で味わう気分や経験ともシンクロして本の中の旅がよりいっそうリアルに立ち上がる。

ヨーロッパ旅行から帰った著書が旅を回想しながら「旅のあと」について綴るそのエッセイの余韻に浸りながらパラパラと本をめくっていると、背表紙の裏に図書カードホルダーがついているのを見つける(昔は図書館の本に、貸し出しカードを入れるカードホルダーというものがついていたのだ)。(あれ、図書館の本なの、これは)と思ってみてみると国分寺だかの東京のあのあたりの住所と図書館名のハンコが押してあった。私には馴染みのあるエリアで、旅先で手にした本がとたんに親近感に満ちた匂いを放つ。

この本は今でも国分寺だかの図書館で「未返却」扱いなのだろうか?いつからこの病院に置いてあるのだろう?おそらく誰かの忘れ物なのだろうけど、今やしっかりとアーユルヴェーダの病院の名称の入ったスタンプが押されており、インドでその役割を果たしている。旅先で人が置いていく本には独特の風味がある。日本語人の手から手へと渡りいつの間にかそこにたどり着いた本は、ひっそりと次の日本語人を待つ。

ところでこの病院の図書コレクションはなかなかバリエーションが広くて、いくつかの漫画の中から「聖☆おにいさん」シリーズも借りた。ブッダにゆかりのある国で、ブッダのギャグ漫画を読むというのもなかなかシュールだ。部屋に置いてある漫画を見たスタッフの人に「これは何?何読んでるの?」と聞かれるので「ブッダとイエスが日本でバカンスをするっていうギャグ漫画だよ」と説明する。「ふーん」と返すスタッフの人には伝わったのか伝わっていないのかよくわからないが、改めてその設定のバカバカしさと壮大さに一人で笑いが込み上げてくる。この漫画もある意味、聖人たちの「下界旅行エッセイ」とも言える。

なんだかそう考えると、この日常も人生という名の旅だなぁと、言葉にすると陳腐なのだが味わい深く思えてくる。どういう旅にしたいのかは自分で決められる。あの観光名所と、あそこの有名なお店と、ここのお土産屋….のようにピンポイントで王道コースを行くのもあり。行き先は天任せで道中フラフラするなかでの出会いを楽しむのもあり。ふと異国の旅先で自分のホームに近いところからきた本に出会うというのも、ささやかだけど素敵な出会いで、あり。

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