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彼女は「小さい私」ではなかった。

私にはふたりの娘がいる。顔も性格も、5歳の長女は私に似ていて、2歳の次女は夫に似ていると言われる。

長女は自己主張が激しい。実によく喋り、ずっと文句か要求を言っている。そんな風に我が強いわりに、実はメンタルはそんなに強くない。ちょっとしたことで傷つき、拗ねる。そんなところも私に似ていると思う。彼女と私が言い合いをしていると、夫は私たちの顔を見比べて「……一緒やん!」などと言いながら、通り過ぎていく。

彼女は私と同じく、ピザが大好きだ。そしてまた同じく、トマトソースは平気なのに、トマト自体は嫌いで食べられない。キラキラしたアクセサリーが好きで、ピンクを好む。彼女の写真を撮ると、昔の私のアルバムの中で見たことがあるような、既視感を覚える。

長女は私と似ている。そんな意識がいつの間にか、長女のことを自分と同一視するようになっていた。無意識に、小さい頃の私が好きだったことは、彼女も好きだろうと考えるようになっていた。そして私ができたことを、彼女ができないと、苛立つようになっていた。

可愛いと思ってせっかく買ってきた服に、いちゃもんをつけて全く着ようとしないと腹が立った。楽しそうに踊っていてもリズム感がなくて、変なスキップをどや顔で続けるのが理解できなかった。何度も教えているのに、「ぬ」と「め」、「る」と「ろ」をいつも間違えるのに、嫌気がさした。「なんでやねん!」……彼女が思うとおりにならないことや、彼女の苦手に腹が立った。私が5歳の時はそんなんじゃなかったのに、と。

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先月、最初に家族の中で私だけがコロナに感染した。陽性の結果が出た日は、家族全員、友達ファミリーのホームパーティーにお呼ばれしていた。先月から楽しみにしていたのに、私が陽性になったせいで家族4人とも行けなくなった。

当日、朝からワクワクしながら準備をしていたのに、急に行けなくなって、「お母さんのせい!キライ!」と言われるだろうと思った。幼い時の私なら、きっとそう言っていたからだ。しかし、彼女の第一声は「……仕方ないよ。お母さん、大丈夫??」だった。これには驚いた。行けなくなったことをとても残念がりながらも、母を労わる言葉をかけてくれるなんて。5歳なのに、その何倍も生きている私より、器が大きいじゃないか。

そしてその時、わかった。たとえ顔が似ていても、性格の一部が似ていても、彼女は私とは全くの別人格なのだ、と。考えてみれば当たり前のことなのに。もし、彼女が男の子だったら、最初から私は自分と同一視することなどなかったのだろう。けれど、女の子だったから、自分も女である私は、中途半端に彼女のことをわかった気になって、いつのまにか同一視してしまっていたのだ。ごめんね。彼女の人生は彼女のもので、彼女には彼女の得意不得意や、思考や性質がある。当たり前のことなのにいつの間にか見失っていた。

その後、コロナ感染中の隔離生活はしんどかった。ただでさえ体調不良の中、濃厚接触者にあたる娘たちも自宅待機で、日中ずっと"かまってちゃん"達のお相手をするのは辛かった。けれど、コロナに感染したからこそ、大事なことに気づけたから、結果オーライとしよう。

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