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【ネタバレ注意】シン・エヴァンゲリオンを観てきました(個人的メモ)

何をもって「ネタバレ」というかはともかく、事前情報を極力仕入れないまま作品に対峙したかったため、公開初日に劇場へ足を運びました。この記事も、ネタバレというほどには細かい点には触れませんが、でも「こうだったよ」「ああだったよ」というそれ自体が一種の「ネタバレ」でもありますので、注意として表示しておきます。

いやー、旧劇場版も公開時に観ていたものとしては感慨深いというか、とにかく「シン」を観ての一言は、「憑き物が落ちた」というこれに尽きるように思います。

旧劇は、それはよく見ればきちんと「終わっていた」はずなのに、どこかで「終わっていない」ように思い続けてきたこの20数年。内臓ぐちゃぐちゃにされて(自分がされたわけでもないのに)放り出されたままだったように思っていたので、新劇場版が始まるという時には不安もある一方、やはり期待が上回っていたんですね。それは「すごいものを見せてくれるんだろう」という思いと同時に「今度こそ終わらせてくれるんだろうな」というものでもありました。でも終わりを見るのが怖いな、とか。

で、「シン」の予告ではすでに「さようなら、すべてのエヴァンゲリオン」というシンジのセリフを耳にしており、「きっと終わるんだ」と思いながら、一方で「終わってほしくないような、しかし終わりは見届けなければ」という思いでいたところ、本日、2021年3月8日、本当に終わりました。

冷静に考えれば旧劇と同じような展開や流れだったと思うんですが、やはり最後に「グッ」と変化が出たことで、本当にループから抜けて動き出したんだと思うとともに、監督の庵野氏もようやくこのループ(呪縛)から抜けたんだろうなと思ってしまった。そして私も、ようやく憑き物が落ちたようになりました。いや、大好きな作品で、別に縛られてたわけではないと思うんですが、でもこれはやっぱり「呪縛」としか呼びようがなかったようにも思う。

もちろん、シンジと同じ年ごろでテレビシリーズを(友人から借りたビデオテープで)観たあの時から今まで、「常にエヴァのことを考えていた」わけでは当然なく、学生から社会人になり、思いもよらぬことを経験してきた中で、いつの間にか年齢はミサトさんも越え、間欠泉のように思い出してテレビシリーズを観たり、急に映画のあの場面だけ観たいと思ってDVDをセットしたり、仕事のBGMとしてサントラを流し、カラオケでは「残酷な天使のテーゼ」を歌い、グッズがあれば時折手を出したり(タイトル画像もグッズのひとつ。キャラ物より「ネルフ官給品」的なものが好きだ…)という形でこの作品と付き合ってきたわけですが、本当に同時代的に作品を楽しめたことに感謝と奇跡的な運命的なものを感じつつ、本日見た「シン」は、作品の中の登場人物だけでなく、作り手も、そして観客にも「ケリ」をつける作品だったなあと思わずにはいられません。

またしても考察チームの頭を撹乱させるような新しい概念や用語が山のように(聞き取れないほどの速さで)いくつも出てきたけれど、そんなものはもうどうだっていいじゃないか、いいじゃないかというくらいの見事な「ケリ」のつけ方。

※とはいえ、ちょっと落ち着いてからは「各用語」を追いかけることになり、それを整理できたらまたそれはそれで楽しいはずで、そうした設定が「ケリ」を演出してもいる。

また、不可抗力によって公開が2021年3月になりましたが、これはかえってこの時期でよかったのではないか、とも。作品内の描写から、10年前の2011年3月11日、とその後をどうしたって想起してしまうからです。

シンジがケリをつけ、なによりゲンドウもケリをつけて、そしてそして誰よりも庵野監督がケリをつけたことで、私という一観客も「憑き物が落ちる」こととなった。なんか、大好きな作品だから不思議な感覚ですが「終わらせてくれ」という祈りのようなものが昇華され、浄化されたような感覚です。

落ち着いたらもう一度観たいと思いますが、Qの時にあった「え、第一使徒がなんだって? ネブカドネザルって?」みたいな探求心も一気に浄化されてしまったので、「何度も観て確認したい」というのとはちょっと違いますが、25年にもわたって見届けてよかったと素直に感じる作品でした。この経験は同時代を生きて追いかけたものにしか味わえないものですから。

かかわったすべての方に「ありがとうございました」、そして「さようなら」。


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