《無駄話》先日感じたこと
こんにちは。
Ayaです。
先日上司が飲み会につれて行ってくれました。そこで感じたことを書こうと思います。
価値観を語るのって難しい
飲み会自体は楽しかったのですが、毎回飲み会で悩むことがあります。それは飲み会の話題です。
仕事のことや世間一般の話は大丈夫なのですが、一番悩むのが『趣味は何?』とか、『休日は何してるの?』と言った話題です。そういった質問には、「休日は美術館めぐりに行ってます」と答え、好きな画家は?と聞かれると、「やっぱり印象派とかですかね〜」と無難な回答をしました。我ながら随分サメテきたなーなんて感じながら話してました。
大学時代の私はもっと自己主張の強い性格でした。さきほどの話題には「美術館巡りが好きです。好きな画家はベラスケスで、最近は〇〇展に行ってきました!」と答えてましたし、友人を美術館に誘うぐらいでした。
しかし、社会人になると様々な人々と関わる『協調性』が求められます。交際範囲が限られる大学生ならこのままの性格でもいいでしょうが、社会人ではよくないと思い、もう少し相手の話を聞けるように心がけるようになりました。
そのうち、あることに気がつきました。それは『自分の関心ないことを聞くのは思ったよりキツイ』ということです。私の全く関心や知識のない分野の話を聞かされると、「すごいですね!」とか「さすがです!」ぐらいしか反応ができない…。より自分の話題(美術や歴史の話)を聞かされていた人々に対する申し訳なさを感じるようになりました。なのでできるだけ相手の話を聞いて相槌するように心がけてきたのですが、前の会社の上司には「お前、いつも相槌打ってばかりで、何もかんがえてないだろ。何か関心もったほうがいい」とお説教までされてしまいました。私は『あなたの好きな女性アイドルグループ(この方々には罪はない)に関心がないだけですよ。自分の好きなことなら小一時間ぐらい語れますけど、そんな話あなたは関心ないだろうから聞きたくないでしょ~怒』と内心キレながら、「そうですかね~(笑)」と笑顔()で返事していました。
関心がない相手に、語るのも結構疲れるんですよね。私みたいに「すごいですね」とか言ってくれる人はいいほうで、中には無理やり話を遮る人もいますから。
SNSのありがたみ
そんなことを考えると、SNSのありがたみが身にしみて感じられます。特にこのnoteのフォロワーのみなさまは美術や歴史に少しでも関心のある方がほとんどで、実生活のように自分を偽らなくともいいため、のびのびと文章を書かせていただいています。私の文章を読んでくださっているすべての方にプラスになるように、もう少しわかりやすい文章を目指して日々頑張ります。
このような考え方をするようになってから、理想の結婚相手に求める条件も変わってきました。昔は自分と正反対の背が高くて、運動できて‥(今考えると鳥肌ものww)とか求めていたのですが、この考えと自分の身の程を知った今の条件はすばり『価値観が合っていて、お互い疲れない人』です。
『私みたいな変人と価値観が合うような人っているのかしら?』という疑問を抱えております笑
以上、《無駄話》でした!次回は《聖書》マガジンを更新する予定です!
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