《聖書-20》イエスの復活とその後
こんにちは。
Ayaです。
『人間イエス』は冤罪によって死を遂げましたが、その後復活したからこそ、『メシア(救世主)』となりました。今日はイエスの復活と、彼の周辺の人々のその後について取り上げます。
『我に触れるな』
イエスの磔刑後、マグダラのマリアが彼の墓を訪れると、墓の蓋が空いていて、遺体がありません。彼女が嘆き悲しんでいると、後ろから男性に声をかけられます。振り返るとイエスでした。
マグダラのマリアは喜んで人々に伝えます。こうしてイエスは復活したのです。
エマオの晩餐
エマオという都市でクレオパという弟子ともうひとりが、途中で意気投合した男性と食事をとっていました。
その男性がパンを割いた瞬間、あたりが光り輝き、イエスの姿に変化しました。ふたりは歓喜して、一目散にエルサレムへ戻ったのでした。
トマスの不信
マグダラのマリアから復活を伝えられたイエスの弟子たちは喜びましたが、ひとりだけ信じようとしない弟子がいました。十二使徒のトマスです。彼は
と主張したのです。
その日から八日後、トマスたちの前にもイエスが現れました。イエスはこう言って自分の傷を触らせます。
キリストの昇天
イエスは数日弟子たちとともに過ごし、ベタニアで説教をした後、手を挙げて祝福しました。
すると、イエスの体が昇っていき、神の右の座に着座したのでした。
その後の人々
イエスの昇天後の、彼に関わった人々についてまとめます。まず、聖母マリアです。
(1)聖母マリア
聖母マリアはヨセフに伴われて、エフェソスに移りました。これはイエスがヨセフに母の老後の面倒を見てくれるように頼んでおいたからでした。
十数年後の8月15日、息子の弟子たちに見守られながら、聖母マリアの魂は聖霊の力によって"昇天させ"られました。この出来事のため、8月15日は『聖母の被昇天』の祭日とされ、イエズス会結成など重要な行事が行われてきました。
最期の審判では、裁判官のイエスに罪人たちの魂の保護をとりなす役として描かれています。
(2)マグダラのマリア
本稿の冒頭でも述べた通り、復活したイエスと最初に会話を交わしたのは、彼女でした。そのため、教団内では十二使徒と同等の立場にあったのではないかと考えられています。
イエスの昇天後、兄弟のラザロ・マルタとともにマルセイユにわたり、晩年は洞窟で瞑想の日々を過ごしました。
ちなみにフランス菓子・マドレーヌは彼女の名前に由来します。
イエスの昇天を見届けた弟子たちは信仰を絶対的なものとして各地へ布教活動に乗り出します。しかし、度重なる迫害にあい、ヨハネ以外の十二使徒は殉教をとげます。この項では特に有名な三人の使徒についてとりあげます。
(3)十二使徒
①ペトロ
教団のリーダーとなっていたペトロでしたが、ヤコブ(イエスの従兄弟)がエルサレム教会の中心になってくると、各地への布教を始めます。この布教活動では病人を癒したり、各地へ手紙を書いています(新約聖書には『ペトロの手紙』として収集されています)
ローマで布教活動をしていたところ、ネロによるキリスト教迫害が始まります。情けないことに、イエスの受難のときと同じく逃げようとしたペトロでしたが、その途中でイエスの幻影に出会い、
『主よ、どこへ行かれるのですか?』
と問うと、イエスは
『あなたが私の民を見捨てるなら、わたしはローマへいってもう一度十字架にかかる』
と言ったので、ローマに戻ったされています。
捕まったペトロはイエスと同じく磔刑に処されました。このとき主と同じように処刑されるのは申し訳ないという理由で、逆さに磔にされたといわれています。まさか死刑囚が処刑のされ方について要望できるわけありませんが、この『逆さ十字』が彼のシンボルとなっています。
殉教後の彼の遺体はローマ郊外に埋葬されました。皆様ご存知、バチカンです。歴代のローマ教皇は彼の後継者を名乗っているのです。
②アンデレ
ペトロの弟・アンデレもギリシアで殉教しました。兄と同じ理由でX字型の十字架で殉教を遂げたので、この十字架は『アンデレ十字』と呼ばれています。
彼はスコットランドの守護聖人とされているため、この『アンデレ十字』が国旗に取り入れられています。
③バルトロマイ
バルトロマイはインドとアルメニアに布教し、アルメニアで殉教したとされています。
他の使徒が磔刑や斬首にも関わらず、彼が処刑された方法は皮剥ぎの刑!もっとも痛そうですね‥。
『最後の審判』の彼の皮は制作で疲れ切ったミケランジェロの自画像と言われています。
この他の弟子たちも次々と殉教を遂げていきます。十二使徒の中で唯一天寿を全うできたのが、福音記者ヨハネです。
④ヨハネ
イエスから聖母マリアの世話を頼まれたほどですので、彼からの信頼もあつかったとおもわれます。
聖母マリアの被昇天を見送ったあと、捕まり釜茹での刑(我々日本人には石川五右衛門が思い起こされます)に処されましたが死なず、流刑になりました。そのとき『ヨハネの黙示録』をはじめとする著作物を執筆したとされています。
釈放されたあとはエフェソスにもどり、老衰のため亡くなりました。
こうした使徒たちの尽力により、キリスト教はユダヤ教の一分派から世界宗教に成長しました。
しかし、教義もバラバラになってしまい、ローマ帝国の公教化後に行われたエフェソス公会議などで教義の統一を目指しました。このときに活躍したのが、『教父』と呼ばれる宗教学者たちでした。
さて、今回で新約聖書も終わりました。
13.聖母マリア
14.洗礼者ヨハネとサロメ
15.イエスと弟子たち
16.イエスと女性たち
17.イエスの宗教活動
18.最後の晩餐
19.イエスの受難
20.イエスの復活とその後
と旧約聖書に比べると少ないですが、有名なエピソードばかりでまとめるのが大変でした。
旧約聖書から長きにわたり、ありがとうございました。今後このマガジンでは聖人たちについてとりあげる予定です。
次回は《無駄話》を更新します。