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《無駄話》源氏物語がたりその4

こんばんは。
Ayaです。
本日8月11日はオリンピックのため、お休み。
ヒマなので、またまた
私の偏見で語る源氏物語の女君たち
です!!(笑)

自由奔放な美女 朧月夜

さて、源氏には異母兄がいました。母桐壺更衣をイジメた弘徽殿女御の息子・朱雀帝です。彼自身も優れた人物でしたが、主人公たる源氏には太刀打ちできません。本人は鷹揚な人物で源氏とも親しくしていましたが、母弘徽殿女御は当然面白くはありません。さらに彼女を激怒させたのが、源氏の結婚です。彼女はかねてより息子の結婚相手に左大臣の娘(葵の上)を所望していましたが、左大臣はなぜか断り、娘を源氏と結婚させてしまったのです。将来の帝たる東宮が臣下に負けるなど、誇り高い弘徽殿女御には屈辱以外のなにものでもなかったでしょう。対抗として、自分の末妹を息子の後宮に入内させることにします。
ある満月の夜、宴でしたたかに酔った源氏は夜の宮中を徘徊します。藤壺へ忍び込もうとしますが、警護が固いので諦め、弘徽殿に向かいます。すると、人影が近づいてきました。良く見ると女性で、彼女も酔っているらしく、歌を吟じながら歩いています。その美貌を気に入った源氏は、廊に彼女を引き込み、一夜を過ごします。この出逢いから、この女性は朧月夜(満月)と呼ばれることになります。
その後弘徽殿女御の末妹だということが判明しますが、彼女の入内後も源氏は彼女との逢引きをやめません。何をやっても許されるという源氏の驕りもありましたが、源氏を溺れさせる魅力が彼女にはあったのでしょう。朧月夜も自由奔放な性格なので、少しぐらいの自由は許されると思っていたのでしょう。

あさきゆめみしより



しかし、不倫は発覚してしまいます。まだ父桐壺院が存命だったため源氏は何の処罰も受けませんでしたが、朧月夜は罰を受けます。すでに彼女は尚侍(最高位の女官)として入内していて、女御宣旨を受ける予定でしたが、それを取り消されたのです。尚侍も妃のひとりですが、正式な妃としては認められないため、末娘を愛する父右大臣は、葵の上の死後いっそのこと源氏と正式に結婚させようとします。しかし、弘徽殿女御が猛反対したので諦めました。源氏としても自由奔放な彼女は遊び相手としてはよくとも正妻とするまでの気持ちはなく、さっさと紫の上と結婚してしまいます。
そんなこんなの間に、最大の好機がやってきます。源氏の後ろ盾であった桐壺院が崩御したのです。これ幸いと弘徽殿女御はジリジリと源氏を追い詰めていき、とうとう須磨へ隠棲させることに成功します。
権勢の絶頂となった弘徽殿女御。しかし、その栄華はながく続きませんでした。天災や流行病が発生したのです。『光る君へ』でも描かれているように天災や流行病は帝徳の不足と解釈されていましたので、母の反対に遭いながらも朱雀帝は異母弟冷泉帝への譲位を決めます。その後見役の源氏を呼び戻したことで、彼の中央政界への復活が果たされます。
こうして京へ帰還した源氏でしたが、すでに朧月夜の心は離れていました。自分の裏切りにも関わらず愛し続けてくれた朱雀帝を愛しはじめていたからでした。朧月夜は源氏に別れを告げると、朱雀院とともに宮中を去るのでした。

贖罪の使者 女三の宮

退位した朱雀院でしたが、源氏との因縁は続きます。一目惚れしていた六条御息所の娘との結婚を望んでいましたが、源氏と藤壺の政治的な判断で冷泉帝へ入内させられてしまいました。養女である彼女が立后したこと(秋好中宮)で、源氏の栄華がはじまります。
ずっと源氏に振り回され続けてきた朱雀院でしたが、晩年になっても彼への信頼を変えず、ある相談を持ちかけます。
すでに出家を志していた朱雀院には心残りがありました。溺愛する娘の女三の宮です。
女三の宮は藤壺の異母妹が産んだ娘で、紫の上と同じく藤壺の姪にあたります。朱雀院の後宮では朧月夜の権勢が強く、他の后妃たちは不遇を囲っていました。せっかく娘を産んだ藤壺の異母妹も若くして亡くなってしまいます。母を亡くした女三の宮を朱雀院は鍾愛してきましたが、出家するとなれば話は違ってきます。この頃となると生涯独身の内親王たちがほとんどでした。内親王として相応しい暮らしは母方の財産があれば大丈夫でしが、彼女の母の実家が頼りにならなかったのです。こうして娘の婚活を始めた朱雀院でしたが、その経済的保証を求めていくうちに娘と年齢が近い夕霧や柏木(頭の中将の息子)では頼りなく感じ、最終的に源氏に相談を持ちかけたのです。
兄から相談を持ちかけられた源氏は当然断りました。さほど兄と年齢が変わらないですし、すでに準太上天皇の称号を得ていた源氏にとって、出世の糸口になるような縁談でもなかったからでした。しかし、懇願されるうち、女三の宮が"あの藤壺の姪"であることにとらわれ、結局引き受けてしまいます。朝顔の君が出家して安心したばかりであった紫の上にとって、悲劇以外の何者でもありません。正式な結婚をしていればこんな思いをしなくてすんだのであり、そもそもあの結婚も源氏の身勝手さが招いたものでした。それでも紫の上は源氏の前では平静を装って、婚礼支度を整えるのでした。
こうして、最愛の紫の上を苦しめて女三の宮を正妻として迎えた源氏でしたが、実はいささか失望していました。たしかに可愛らしい女性でしたが、藤壺には似ておらず、年齢より幼くぼおっとした姫で好みのタイプではなかったからでした。表向きは正妻として女三の宮を重んじながらも、紫の上への愛を深めた源氏。しかし、それは紫の上にとっては身分を弁えずに内親王を苦しめていると誤解を生みかねないものでした。
さらに紫の上へのあてつけなのか、朱雀院が出家して自由となった朧月夜と再び関係を結んでしまいます。しかし、朧月夜も彼との付き合いが長じるに従って、自分に本気になるわけがないとわかっていたのか、突然出家してしまいました。こうして、朧月夜は物語から退場するのです。
常に夫の不実に苦しんでいた紫の上。さらに、いつのまにか源氏にとって自分は"だれかの身代わり"であることに気がついていたようです。他の女性たちへの嫉妬やこの空虚さから逃れるために、紫の上は出家を申し出ますが、源氏は本気にせず相手にもしませんでした。
愛妻の真意を知ってか知らずか、源氏は自身の五十の賀で、紫の上には和琴・女三の宮には琴・明石の女御には箏・明石の君には琵琶を担当させて合奏させました。愛する女性たちに合奏させたこの行事は、彼の栄華の最後の輝きでした。この催しの夜、紫の上が日々の苦悩から発病してしまいます。源氏は気が気ではなく、療養のため二条院へ移しました。この行動がある青年貴族の運命を狂わせます。
頭の中将の息子・柏木です。夕霧と同じく優秀な若者で、彼は女三の宮との結婚を熱望していました。どうしてここまで熱望したのかははっきり描かれていませんが、彼の乳母と女三の宮の乳母が姉妹なので、幼い時から女三の宮の話を聞いて育ち、崇拝にも近い憧れを抱いていたのでしょう。結局叶いませんでしたが、愛する妻の甥(柏木の母が朧月夜の姉)なのでその将来に期待して、朱雀院は彼を女三の宮の異母姉・女二の宮と結婚させます。女二の宮も奥ゆかしく美しい女性でしたが、彼の女三の宮への恋は消えませんでした。さらに蹴鞠の会でたまたま目撃してしまい、恋情を募らせた柏木。そんなとき、源氏が六条院を離れたのです。柏木はとうとう女三の宮と関係をもってしまいます。
女三の宮とって柏木はストーカーでしかありません。ですが、元々意思薄弱な性格だったこともあり、ずるずると関係を結んでしまいます。その結果、女三の宮は妊娠してしまいます。
女三の宮の妊娠を聞かされた源氏は、昔の予言から自身の子どもは三人だけ(冷泉帝・夕霧・明石女御)と思っていたので、当初から疑わしく感じていたようです。柏木の恋文を見つけてしまい、疑いは確信に変わります。事あるごとに嫌味をいう源氏に耐えながら、女三の宮は男の子(薫)を出産します。精神面が急激に成長して罪の意識に苦しんだ彼女は、源氏の反対を押し切り、出家してしまいました。すでに病みついていた柏木は見捨てられたと絶望し、そのまま急死してしまいます。
若いふたりを追い詰めた源氏は、薫を嫌々ながら抱き上げます。しかし、そのあどけない姿に、今回の事件はかつて自分が起こした因果応報なのだと心を改め、可愛がることを決めるのでした。

薫を抱き上げる源氏(源氏物語絵巻より)
尾張徳川家に伝来した絵巻のなかでも屈指の名場面


紫の上を苦しめ、柏木との罪の子を産んだ女三の宮。しかし、彼女の事件がなければ、源氏はかつての自分の罪と向き合うことはなかったでしょう。ある意味で源氏に遣わされた贖罪の使者だったのかもしれません。

あさきゆめみしより

この後、長い間患っていた紫の上が亡くなります。源氏は深い哀しみの中藤壺の身代わりではなく"紫の上自身"を愛していたのだと改めて自覚し、その一周忌後に出家します。
彼の一生を描いてきた源氏物語ですが、源氏の死については描いていません。ただ『雲隠』という帖名だけが伝わります。


私の偏見で語る源氏物語の女君たちで最長の長さになってしまいました。どちらも好きじゃない女君なのに‥、おかしいなぁ()
私は源氏物語の深みは女三の宮が鍵だと思っています。それまでは源氏の繁栄が描かれるだけで、ここで終わっていれば、源氏物語も他の物語と同様に忘れ去られていたでしょう。因果応報を加えることによって物語に凄みが増し、永遠の作品となったのです。




















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