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悲しみとは

猫が死んだ。
昨日までちゃんとご飯を食べて、歳ながらも自分で生きていたのに今朝になって急に立てなくなり、ご飯も水もとらなくなった。もうすぐ19歳、月に2度は病院に通う生活、朝晩の投薬。それでも玄関を開ければ気が向けば外に出たがったり、相変わらずのユーモアがあった。歩く速度が遅くなっても、彼は彼らしく歳をとり、ますます愛おしくて。

明日から、一泊とはいえ留守にする私。帰宅する翌日が猫の誕生日、だったのに急に今朝は立てないし食べない。立てなくなってたから今後はオムツかな…と買いに行ったよ、オムツ。わたしが一泊の用事から戻ったら19歳の誕生日だから、頑張れ、待ってて、と思っていたのに、こんなにいそぎ足で旅立ってしまうとは。ピンピンコロリってこういうことね。結局食べてないから粗相もせずオムツを履かずにいっちゃった。最後まで自分で生きてた、きみはすごいよー。


最後の時。わたしは在宅仕事だったのでちょくちょく様子は見ていたけど、急に頭痛になり薬を飲んだついでに、猫をさわりにいった。前足をもって握手してたら、ひくひくと痙攣のような動き。大丈夫?と思ってるうちに発作?苦しそうに全身に力が入ってぎゅーっと首を伸ばす。慌てて抱き上げたら脱力したので横に寝かせたけど目つきが、目つきが変わっていた。ビー玉みたいな瞳。
まさかね?と体に触れるけど、ドキドキの鼓動はわたしの鼓動なのか、猫なのかわからない。わからないけど、ずっとさわっていた。

だんだん硬くなり温もりがきえていく。


そうか、苦しみから開放されたんだねー。
わかっていたのに、だれでも生きて死ぬって知ってるけど涙がとまらない。悲しい。悲しいってなんだ?わからない。涙ってなに?自分のため?悲しみってツライけど、自分のために悲しさってあるの?自分のために泣いてるの?

この気持ちがどいういうことか、わからないけど。猫と過ごした時間、私はしあわせだった。最後にこんな悲しみがあるなんてつらいけど、ずっとしあわせがあったとおもう。

ああ、かなしい。悲しみって知ってたようで知らなかったのかも。悲しさってなに。
いっぱい楽しい時間があった、ありがとう大好きだよ。


片方しか歯がなくてもせっせと食べてたね。動物病院の先生にも褒められた、食欲は生きる気力だと。部屋のパトロールも、弱った足腰ながらもしてくれたね、ベッドに上がれなくなってからは別々に寝てたけど、ついにソファにあがれなくなったときの、あの表情はわすれない。老いていく君の姿は切なくて凛々しくて。素晴らしい生き様だったよ。世界一のかっこよさ。

ありがとうー。

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