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生まれてくる子供にしたいこと

私がこれから親になり、生まれてくる子供になにを教えたり出来るのか考えたりすることが増えた

夫と話しているのは
子供自身が興味があってやりたいと思ったことはとことんやらせる

まだまだ先の話にはなるが
子供の話を聞いて、親が支えて伸ばしてあげられる環境を作ることを第一にしたいと考えている

それは私の幼少期の家庭環境が深く関わっているからだ。
私は中学受験をした身であり、更にいうと受かったにも関わらず最後は親を裏切る形で合格校を蹴ったのである。

母親が猛烈な勉強熱心で、幼稚園から受験に特化した習い事をしていた。
そのまま何も知らずに小学校にあがれば、塾にいきだすことになるのだが、公文、家庭教師、日能研、ほかにありとあらゆる有名な塾も網羅したし、私の意志とは関係なく母親は教育を押し付けていくのであった。

勉強以外では、
放課後に友達と遊んだことはなかったし、
家ではゲームも市販のお菓子もジュースも禁止だった、
更にテレビも教育上良くないと見ることができなかった。
しつけも厳しかったので食事のマナーもうるさいくらい叩きこまれた。
本を読めと1ヶ月何十冊も読んだし、ドリルも与えられたお陰で小学生で勉強は満点だった。
友達からは勉強を教えてといわれていたくらいだ。

そんな風に常日頃から勉強をしろ、塾に行け、あなたの将来に関わるのよと頭ごなしに言われた挙句、テストで満点を取って見せても母親からは評価を一切されないのである。そんな馬鹿な。

まぁ当然親ガチャは失敗したし、こんな家庭で育ったらどうなるか目に見えてわかるし、容易く想像も出来るだろう。

多分小学校4年生かそこいらで、親に反抗をし始めるのである。
それでも無理矢理とはいえ大好きだった勉強も突然やりたくなくなるし、全てにおいて親を否定することをし始めるのである。
塾も学校の勉強も当然放棄をするし、親の目を盗んで財布からお金を盗み、食べられない菓子を隠れて買ったこともある、まぁバレて大説教をくらったので二度とやらなかったが、どんどん口は悪くなるし癇癪は起こすし、壁に穴だってあけたこともある。
作ったご飯さえも腹立たしくなり、食べないなんでザラである。

大抵その後は、
『もうあんたなんか知らない。外に出ていなさい。』と寒空の中玄関前で放置されるのである。
祖母が見かねて母親を問い詰める場面を幾度となく見た。そのたびに、自分のせいでこうなってしまったと申し訳なくなる。

それでも母親は大金を塾代や勉強代に注ぎ込むのである。無駄金である。

大分反抗していたが、私は結局最後まで逃げきれず母親を裏切ることが出来ずに言いなりになって、塾にもいくし見せかけであるが勉強もするのである。
家では手抜きをして親に見られている時は勉強をしたふりをする。とにかくご機嫌を損ねないように家の中で立ち振る舞うしかない。

最後は受験校が推薦で決まっていて、大学までストレートでいける学校であった。親はさぞ嬉しかっただろう。

でも私は我慢に我慢を重ねていて爆発寸前であった
クラスメイトたちと離れ離れになることも当然知っていたし、嫌だった、最後に母親の望みを叶えてやることが何より癪だった。

だから裏切ってやろうと決めていたのである。

『私、そこの学校に行きたくない。行かないから。』

この一言だったけれど、
私の意志は固かった。

ここまで父親は一切登場していないが
母親と剃りが合わず、口出しをすれば文句をぐちぐち嫌味を言われるので全く存在感がないのである。

私の最後の要望を聞いた、当の母親はというと
わかったと泣きながらに承諾をしてくれたのである。

この後中学校へ上がってから、見事に反抗期とヤンチャになり学校から目を付けられることになるのであるのだが。

あまり思い出したくない忌まわしき小学生の思い出ではある。

『ただただ、私の話や考えを聞いてくれていたら』
少しは違っていたのかもしれない

いつか自分の子供ができたら、同じ経験をさせたくない。何も知らない子供に押し付けたりなんかしたくない。

子供の話に耳を傾け、話を聞く、会話をする
親の一方的な願望やできなかったことを子供に押し付けない
出来たことも過程も見て具体的にほめたり伝える
たくさん旅行に連れていったり外の世界に触れさせてあげたい
愛情をたくさん伝える

勉強は好きになってくれたら嬉しいし、学ぶことは生きていく上でとても大切だ

結局私は、勉強が大嫌いになってしまって教科書を破るくらい見るのも嫌になってしまった。
放棄したからこそ大人になって、もっと学んでいたら楽しかったかもしれないと後悔をしている

早く生まれてきたら、まずはありがとうって伝えて抱きしめたい。今はそれだけ。


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