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SpheryRandezvous初日


BUMP OF CHICKEN のSpheryRandezvousツアー初日に行ってきた。

ライブ3日前に発売されたIrisのライナーズノートも聞いて予習は完璧だった。

まず思ったことは藤原さんの声量が大きい。
スピーカーを通した音と別に藤原さんの声も直接聞こえてるんじゃないかと錯覚するくらい。藤原さんの感情が熱くなっても凪いでもそれを本当に素直にドーム全体に運んでくれる素敵な声だった。
二つ目にめちゃくちゃロックバンドだった。BUMP OF CHICKENがロックバンドなのは知ってたけど取り立ててロックだなと感じたことがなかった。でも実際にライブに行ってみるとギターの音もドラムの音もそれぞれ凄く独立して聞こえてそれが噛み合ってバンドになっているんだなと実感した。それから昔の曲もいっぱいやってくれた。その中でもauroraとかが選曲されていて歳を重ねても弱虫の逆襲の名の通りカウンターカルチャー精神が失われてないことを感じた。
3つ目に車輪の解釈が新しくなった。私は車輪の歌を上京する時の歌だと思って聞いていた。でも藤原さん達は都会のビル群の映像をバックに歌っていた。東京生まれ東京育ちの私にとって車輪の歌はどこか他人事のように感じていたのだが、自分にも置き換えていいんだなと思った瞬間だった。辛い時でも電車に乗ってバレエに通ったこと、凍える手をポッケから出して単語帳を開いたこと。上京に比べたら少ない距離だけどあの時確かに何万歩より距離のある一歩を踏み出していたなと思ったら不覚にも涙を流していた。


最後に
藤原さんがBUMP OF CHICKENの曲の、そのどれもが、君がいない世界ではきっと生まれてくることができなかったんだ。生まれてきてくれてありがとう。って言ってたことが腑に落ちなかった。

リスナーとしての人、一人ひとりが居なければ生まれてない曲もあると思う。藤原さんもライブで思ったことを歌にしたと言ってた曲、ライブで歌うことを想定して作った曲もあると言ってたから。
でもリスナーのうち誰か1人が居ないと生まれなかった曲なんてない。
ましてやBUMPのリスナーはBUMPの曲を生む為に生きている訳ではない。
BUMPの曲が救ったリスナーの命はあるけど、BUMPの曲を生んだリスナーの命なんてない。
リスナーはどこまで行っても一人ひとりではなく集合体でしかない。
その曲そのノリがそのライブでしか生まれなかったとしてそれは音楽として楽しいだけであって生きる意味にはならない。
藤原さんの音楽は凄い。歌詞も声もメロディーも
でもその凄さに人生を影響されるのはBUMPに関わっている人と音楽に関わっている人だけだ。
音楽に関係ない人生を歩む1リスナーとしては、BUMPの曲が発するメッセージを人生の辛い時に共感として受け取ったり意見として取り入れられるだけで充分。
良くも悪くも音楽にできることには限界があって、それはどんな分野でも変わらないことで、大勢にアプローチできる方法だと一人ひとりにアプローチできないことは必然で、
だから背負い過ぎないで欲しい。
藤原さんはライブのMCや曲の歌詞でもリスナー一人ひとりに生きて欲しい。健やかでいて欲しい。音楽を言葉を受け取って欲しいとよく言ってると思う。
その願いが叶うかなんて藤原さんの責任じゃない。
もう充分、一バンドとしてできることはしてもらっているから。

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