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この土地に感じている色のないなにか

この春、思いがけず私はこの地を離れることを決めた。



この地というのは、大分県臼杵市という大分県の南部にある人口約35,000人の小さな町である。

城下町である臼杵では二王座という石畳の街並みや国宝である臼杵石仏を楽しめたり、ふぐやかぼすが有名である。かぼすの季節になると食卓にかぼすを見ない日はない。(私の家の場合)何にでもかぼすをかける。お味噌汁にかけるの本当に美味しくておすすめなのでぜひみなさんにも試して欲しい。臼杵で食べるふぐも高くなくて新鮮だし、アレもついてくる。(自主規制)

中国の敦煌とは友好都市で家の近所にある「敦煌」という中華料理のお店はよく行っている。ちなみにスリランカのキャンディーと姉妹都市なのに、臼杵市内にスリランカカレーのお店がない。

私は大分市で生まれ、3歳の時から両親の出身地であるこの臼杵に住み、臼杵の小学校中学校に通い、高校と短大は大分市内にある学校に臼杵の自宅から通った。新卒で就職した職場にも臼杵の自宅から通った。



初めて私がこの地を離れたのは23歳のとき。ワーホリ一ヶ国目のカナダのバンクーバーに行く時だった。

初めてこの地を離れる時のこの時の私は、寂しさや不安や怖さはあったが、活力に満ち溢れていて、住む場所も決まっておらず不安を抱えながらもワクワクしながら飛行機に乗り、夜にYVRに到着し空港からタクシーに乗り、見知らぬキラキラする土地にとてもドキドキしていた。(自己紹介noteでも書いたが到着日は4/20の夜で最初のバンクーバーのイメージは結構酷かった)

そして、私は素晴らしい一年を過ごした。



二度目にこの地を離れたのは、ワーホリ二ヶ国目のオーストラリアのメルボルンに発つ時に臼杵と福岡をあとにした。(メルボルンに行く前は臼杵と福岡を行ったり来たりしていた)

この時初めて、私は「ホームシック」になった。

ただただ「寂しい」以外の、感情を表現する言葉が見つからなかった。


20代後半になって初めて時を重ねている感覚を味わった。



そして三度目にこの地を離れる今、この地に対する私の想いが言葉になることなくただただ私のこころの中でぐるぐると、明るい面と暗い面、透き通るキラキラした中身と濁っている中身、現れては消えて、現れては消えて、複雑に私のこころの中を支配していく。

「ホームシック」と一言で言えば済むのだけど、なんだかこの言葉はあんまりしっくりこない。



部屋から見える広い空、長く続く山々、ちょこんとしているのに存在感のある仏舎利塔。

流れる雲、グレーの空に深々と降る雨、目の前に見える満月、深い緑とグラデーション。

下の家から流れてくるバーベキューの煙と笑い声、角で幼稚園のバスを待つ女性、その数分後には立ち話をする女子中学生、たまにおじいちゃんが歩いていて窓から手を振る。家のツバメたちが気持ちよさそうに回遊している。



色なんてたぶんないのだけど、その時々で私が見えている「それ」や感じている「それ」こそが「今ここ」にあるものなんだと感じる。


あぁ、ここが好きなんだな。

場所に限らずともだけど「好き」や「嫌い」に対するハードルが今まで私の中で高尚なところに位置づけされていた。


まずは認識するところから始める。まずは、そのものを認めてみる。「好き」でもいいし「嫌い」でも良い。「良い」「悪い」の概念が、私はどうしても受け入れられないのですが、「純粋なもの」「不純なもの」という概念をこの間シェアしてもらってからはとても心地よく内にあるものを表現できそうな気がしている。

色のない感情も、姿形のない何かわからないものも、「それ」に向けられている私の目線はどんな言葉がしっくりくるのだろうか、わたしの中で感じられている「なにか」を一つだけでも言葉にできたらそこから始まるものがあるのだと感じた。





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