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仕事を変えた、生活も変わった。

仕事を変えて一週間経った。
今週から新小1になる息子の学童生活が始まり、親の私のお弁当やら学童の送迎もあって、めちゃくちゃ忙しかった一週間だった。「なんだこれ?」と、まさに言いたいくらいの境地だった。
仕事1日目から2日目は、仕事を教えてくれる前任者の話を聞かねばならず、仕事の一日の全貌がわかるまでに頭痛が止まらない2日間だった。私は内外共に「感覚派人間」だし、今までの仕事は「見てなんとなく覚える」やり方しかしてこなくて済む仕事ばかりしてきたので、始業から終業時刻まで言葉で説明されるだけの作業を頭に入れるのに脳が全くついていかなかった。
しかも教えてくれる人がどういう人かも初対面で把握できないまま、仕事の説明が面と向かってされていくのも不安なほうで、初対面の人がどういう人かを感覚で分からないと、話している内容も頭に入ってこないのである。

それでどうしたかというと、ひたすらメモを取った。勤務初日の動きとしては当たり前かもしれないが、とにかく頭に入らなくてもなんとか記録はとるし、説明してくれる相手にも失礼は無いだろうと言う姿勢も保たせられるのでメモを取る。そのメモも後から見たら意味が分からない走り書きの図あるのだが、全くまとまらなくても作業を時系列で並べたことにはなったので、後から見ても少し安心もできる。実際2日目はそのメモで作業し、覚えていないことは躊躇せず前任者に聞け、知識を補強できた。ペン習字を習いながらも実際早く書く字は汚いけど、自分が分かればいいのだ。

「あなたは覚えが良いし、要領が良く作業も早いね。」と、仕事を変えるたびに周りから褒められたことを思い出して、膨大に新しく覚えなければならない事を前に、初日は自分のメンタルを保つ。
「覚えきれないことはおいおい聞いて、また覚えたら良い。」と言い聞かせて、午後は全く仕事の説明が頭に入らなかったことを反省しつつ帰った。

そして息子の学童まで自転車を飛ばして迎えに行く。まだ通学路も把握していない息子。3月に歩いて小学校や学童に行く練習をしようとしていたのに、つい忘れていた。今思えば、仕事も4時間しかせず私にたくさん時間はあったはずなのに、なぜあの頃はゲームや映画を観ることに一生懸命だったか…。いつも次のことのために動けない私。今は今しか動けない私のせいで子供にも負担をかけてしまった…。
帰りも自転車に息子を乗せて送ろうとしていたら、2日目には「俺、歩いて帰る。」と息子が言うので20分かけて学童から家まで歩いて帰った。一緒にいる友達の影響か、学童の先生に言われたのか。帰り道に桜が咲いていたのを見て、息子がスマホで写真を撮りたいと言うので何枚か撮らせて帰った。更に帰りの時間が遅くなる。通学路の歩きの練習ができていいのだが、夕食時間がぐっと遅くなった。や、やばい…。


息子が撮った桜の花びら。手ブレすら愛おしく思える家族愛よ…。

勤務3,4,5日目は仕事の説明もそれほど無く、基本的な作業は覚えていったので、1,2日目の時より勤務時刻があっという間に過ぎた。私の感覚では「言葉をただ浴び続ける一日」が苦痛だったからだ、と思いたい。ただ新しい環境に慣れるかなれないかの問題かもしれないが、説明好きな人の隣にいるととても疲れる気がしている。

5日間の食事も弁当も、冷食が口に合わないと言う息子のためにほぼ自分で作っていた。今すでに何を作ったかとすら覚えていないが、時間が無いのにハンバーグ捏ね、野菜を鍋で茹でて和え物を作っていた。文明の利器を使用しない昭和な料理法こそ、家庭料理だと思い込んでいる私は、もう少しSNSで紹介しているような便利な調理器具やら時短法なんかも使えるようにはしたい。

張り切りすぎて体を酷使した5日間だったため、平日は寝ても疲れが取れなかった。これが続くとあの「鬱」になるのだろうな、とも思った。しかし私には週休2日があるし、土日は夫にも家事を手伝ってもらえるのでなんとかそうはならないだろうと思う。

週2である息子と娘の塾、週1で私の趣味の習いごとも今後の予定には悩ましい種。平日を平均した体力を保ちつつ健やかに過ごすためには家事をどう切り盛りするか、子供達も自分達のことは自分でして欲しいし私も新しい方法を取り入れなくては…と思っているが、今はもう眠いので寝る。


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