いつか、ちゃんと地に足ついて、思いきり浮き足立てる春を迎えるために
人が浮き足立つ季節が怖い
いつかのラジオで、リリー・フランキーさんがそう話していたのを聴いて「その感じ、なんとなく分かるなあ」と思った。
三寒四温の気候に、春がすぐそこに来ていることが分かる。何かが終わり、何かが始まるわくわくする季節。足だって浮き立つ。
けれど、小中高の時は新学期の前はいつもなぜだかお腹が痛くなったし、受験や就活にはことごとく失敗してきた自分にとって、春は苦い思いを持ち越す季節としてすっかりインプットされてしまった。
始めたいけれど始められない。いつまでもスタートラインにすら立ててない気がする。
今年の春はそんな感覚がより一層強くなりそうだ。振り出しに戻るどころか、今自分が立っている場所すら分からない、そんな感覚が。
とはいえ時間はずんずん進んでいく。
「まあいっか」とも言ってられないけど、やるだけやってダメなら「まあいっか」とつぶやいて次へ。
負けることに慣れてしまうと、「まあいっか」と自分を保つのも難しい。
でも間違えても、「もういいや」と、自分で自分を諦めないように。必要なのは諦めじゃなくて見極めだ。
今は所在なくても、きっとしっかり見極めて力を尽くせば、その先のどこかに自分の居場所はあるはずだから。
「もういいや」がちょっと顔を出しかけていたところに、久しぶりの今日の寒さ。
「ここしばらくの暖かい気候につられて、ぽやぽやしてはいけないよ」と喝を入れられた気がした。
いつか、ちゃんと地に足ついて、思いきり浮き足立てる春を迎えるためにも。
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