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とても幸せで、やっぱり大変で、大切な時間。soarで働いた3年半を振り返ってみる #soar応援

こちらの記事には、ウェブメディアsoarの5周年に向けて、soarメンバーやsoarライター・これまで記事に登場した方たちがsoarへの思いを綴ったコラムを掲載しています。

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ある日エレベーターで乗り合わせた、知的障害のあるお子さんと、お母さん。

静まったエレベーターで少し大きなお声を出すお子さんを、お母さんは周囲に迷惑がかからないように、と気にかけているようだった。

別の日に、私はお子さんと二人きりでエレベーターで乗り合わせたことがある。学校のこと、天気のことなどちょっとしたことを話しただけだったけれど、素直に自分の言葉を紡ぐ彼と話す時間は楽しかった。

それ以来、この親子は私にとってただの“ご近所さん”より少し特別な存在になった。

久々にあの親子を見かけた日、ふと自分が今の仕事、soarで働くことを選択したきっかけを思い出した。

私の身近には障害のある人とその親御さんがいて、当事者としての困難や、当事者の家族が感じている見えづらい困難について、見聞きすることが多かった。そして当事者への支援もだけれど、家族への支援はさらに少ないと感じていることや、そもそも家族が「困っている」「辛い」といった気持ちを持ってもいいものかと葛藤があるのだということも聞いた。

この経験から、障害や病気、ジェンダー、セクシュアリティなど、一般的に知られている「名前のある困難」(とはいえまだまだ認知が広がっていないものも多いけれど…)の他にも、障害のある人の家族の困難や、病名はないけれど不調があるなどといった「名前のない困難」があるのだと、私はぼんやりと知ったのだと思う。

「名前のある困難」はもちろん、こうした「名前のない困難」に対してできることやサポートする活動、当事者の発信があるならリサーチして、記事をつくりたい。

そんな思いを持ってsoarで働きはじめた。12月でメディアオープン5周年を迎えるsoar。私がジョインしてからは3年半が経つ。

こうして振り返ってみると、働く前の自分の気持ちに応えるような記事の制作にも結構関わってきた。


これは「障害のある人の兄弟姉妹である自分が、サポートを受けることができる対象だと知らなかった」「”きょうだい”という言葉に出会って、自分の気持ちの居場所を見つけた」と話す人のことを思い出しながら作った記事。

名前がつくことで、ラベリングをしてしまうなど偏見が生まれる場合もあるから一概には言えないけれど、私はこの時自分の気持ちに居場所があることで、救われるケースがあるのだと知った。そして清田さんのじんわりあたたかいお人柄に触れて、私自身の「他者には理解されないんじゃないか」と小さく思っていた気持ちと少し向き合えるようになった。


「自分が死んだら、障害のある息子はどうなってしまうんだろう」という気持ちがずっとあると話してくれた知人の言葉が忘れられなくて、企画をした記事。

翔子さんの愛が溢れるエネルギーに、泰子さんの孤独とともに生きていく決意に、とにかく圧倒された。二人の生き方を目に焼き付けた取材だった。この記事によって知人の切実な思いが全て晴れるわけではないだろうけど、一つの事例として読んでもらえていたらと願っている。企画に向き合う時間を通して、私自身の「自立のかたち」を考えるきっかけにもなった。


祖母の認知症が進んだとき、どう接したらいいのかわからなくなったり、これから必要になるかもしれない介護について調べなくてはならなくなったり、大変そうにしていた両親を思い出しながら企画した記事。

この企画を通して誰かを支える人をケアする、「ケアする人のケア」の概念は介護以外にもいろいろな場面で必要なことを痛感して、以降は「誰かを助ける・支える」ことの裏側も考えるようになった。


エレベーターでお会いした親子の話に戻る。

soarで働く前だったら、私は彼らをみたとききっと「大変なんだろうな」と今より強く思って、その困難さにフォーカスしてしまっていたと思う。もっと言うと「かわいそうな存在」と決めつけてしまったり、身近な人の存在を重ねて勝手に悲しくなっていたかもしれない。

でも今は、障害とともに生きる上で社会側に課題があるから、困難なこともあるとは思うけれど、一人一人違うストーリーを持っているから決めつけたくないな、と思う。そしてお子さんとお話した時に私自身が感じた豊かな気持ち、楽しかった気持ちのこともしっかり覚えていたいと思っている。

素敵だな、話を聞いてみたいな、と心から思った人に、直接会って話を聞く。そして伺った話をじっくり噛み締めながら記事をつくる。この仕事を通して、本当に多様な属性を持った、多様な考えの人に出会った。そうして以前より実感を持って、症状や属性、特性といったくくりで人を決めつけたくないなと思うようになった。

「社会を良くしたいと願う“自分のため”」の視点

soarで働いた3年間半、計算するとおそらく100本くらいの企画に関わっていると思う。本当に全ての企画で自分の心が動く瞬間があったし、思いを込めて関わったつもりではある。

身近な人の経験をきっかけにはじめた仕事だったけれど、働く中ここで仕事をする意味のとらえかた、他者と自分のとらえかたなど、私の意識は変わってきた。

「困りごとがある人のため」私は最初そう考えて仕事をしていたけれど、本気で仕事と向き合うと、「自分」から逃げられなかった。

「あの人に情報を届けたい」と誰かを思い浮かべながら記事を企画すること。それは「あの人のため」ではなく、「あの人に少しでも楽になってほしいと願う“自分のため”」なのだと思う。「社会のため」は「社会を良くしたいと願う自分のため」で、その「良い」の基準もまた自分が作っている。だから自分の“良い”を誰かに暴力的に押し付けないようにしたい、という思いも芽生えた。こうしたことには常に自覚的でありたい。

「自分のため」の視点に気づくと、言い訳はできなくなる。

「上司がああ言ったから」「会社のためだから」などと、以前は言い訳をしながら、本当は納得いっていない仕事をすることもあった。そうすると結果に対しても、「本当の私が決めたことではないから」といくらでも言い訳ができる。

今は「困難がある人のため」「soarのため」でもあるけれど、行き着く先は「今こんな困難がある人に選択肢を作りたいと思っている自分のため」「soarをよりよくしていきたいと思っている自分のため」に働いている。納得できない選択をすることはできないし、思うことがあるなら声をあげなくてはいけない。

現にsoarチーム内でも「自分がいいと思わないならやるべきではない」という考えが浸透していると思う。

自分の本当の思いを生かす、形にするということが実現できる環境だと日々感じる。これはとてもとても幸せで、やっぱり大変で、大切な時間を過ごしているなぁと思う。


自分の困りごとに応える記事をつくる

多様な生き方がたしかに存在している。素晴らしい活動だってきっとある。

多くの取材をして、記事をつくって、出会いがあって、読者の声を聞いて。長い長い時間をかけて、いま私自身心からこう思っている。

以前、これからも人生で色々な困難に出会うのだろうと思うと恐怖心がものすごい時期があった。これからもまだ未知数の苦労をたくさんするんだろうな、とふと考えて、まだ起きていないことに対して「もう乗り越えられないよ…」と過剰に悲くなったりもしていたけれど(笑)、今はこの先なにがあるかわからなくても、まぁなんとか生きていけるんじゃないかなと思えている。

実際soarで働いてからの3年間でも色々なことがあった。大切な人を亡くした、周囲に悩みを相談された、祖母が認知症になった、知人の病気が分かった、パートナーとの関係性に悩んだなどなど…

そんな時はsoarの過去の記事を掘り返して読んだ。

👆大切な人を亡くした時に読み返した記事。


☝️友人がメンタルの調子が良くないと言っていた時に送った記事。


☝️祖母の認知症と向き合いながら読んだ記事。



そして、まだ自分の困りごとに応える記事がないと思ったら新たに企画をして記事を作ってきた。

最初はこんなとてつもなく個人的な思いを仕事につなげて良いのだろうかと考えていたけれど、「一人の感じている困りごとはきっと他の誰かも感じていることだから」と言ってもらって、だんだんとメンバーと分かち合いながら企画に生かしていけるようになっていったのだった。

☝️熱い気持ちがあるからこそ仕事を頑張りすぎてしまう友人を思って企画した記事。


☝️パートナーシップや家族間の関係性に悩んだ時期を思い出しながら、あの頃の自分に応えたいと企画した記事。


「成長とは、本来の自分に戻っていくこと」

新しい課題や、気づき、問いにも日々出会う。

今思うのは、人の人生は他者が語れるほど単純じゃなくて、1万字というウェブメディアの中ではかなり長文の記事を掲載しているsoarでも、全てを伝えることはもちろんできないということ。複雑で、危うくて、日々変化していくもので、とらえどころがなくて難しい。これは人の話を聞く、伝えるという仕事に慣れてきた今だからこそ、これからも大切に向き合っていきたい。

そしてここ1−2年、「ことばで伝える」仕事をしてきたからこそ、言葉にすることが全てじゃないと思うようになった。言葉にしなくても考えていること、意識すらしていないけれどその人の内面にある何か、そんなことにも関心が向いてる。

私がよく思い出すのはある福祉施設で出会った障害のある人たち。ことばにはしていなかったけれど、自分にしかできない表現(振る舞いもふくむ)や制作物に励んでいた。時にはのびのびと、時には差し迫った表情で必死に、時には飽きてしまったり疲れてサボってみたりしながら。

その制作物にも、取り組む姿勢にも、まだ簡単には言語化したくないような、すごい衝撃を受けた。なんというか、とにかく気になるようになった。

それらはアートと呼んだり呼ばなかったりする。そういう意味ではアートのくくりでも、その外側でも私はどちらでもよいのだけれど。私はその人らしい表現や、自分を出していく手段みたいなものがとても気になったので、追求していくことにした。しばらくはこのテーマをじっくり噛み締めてみようと思っている。


最後に、soarで働いてからの私の変化について。この変化はなんて名付けられるんだろうと考えたけれど、うまく言葉が見つからなかった。そんな時に思い出したのが、大好きな福祉施設「スウィング」で聞いた、「成長とは、本来の自分に戻っていくこと」という言葉。

最近は「常によくあり続ける、よくなり続けることが良いこと」と考えなくなったこともあって、「成長」という言葉をあまり使わなくなったのだけれど、スウィングのいう「成長」はとても私にしっくりくる。本来の自分に戻っていくという意味での「成長」を、私は重ねてきたのだと思う。

5歳を迎えるsoarとともに、これからも私はより自然体に生きていきたいし、周囲の人の自然体なあり方を尊重していきたい。

自分が自分らしく生きようとするとするのは、「あなたもあなたらしく生きる」を尊重するということ

というスウィングの代表木ノ戸さんの言葉を時々思い出しながら。

Written by 松本綾香 / soar編集部


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soarはNPO法人soarが運営するウェブメディア。「人の持つ可能性が広がる瞬間を捉え、伝えていく」ことを目指し、障害者や高齢者、LGBTなど様々な人の生き方やサポート事例について紹介しています。2020年12月22日に迎えるメディアオープン5周年に向けて、サポーター会員850名を目指しています。より多くの人にsoarを知ってもらうため、今年もハッシュタグキャンペーン「#soar応援」 を実施します。

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