見出し画像

「刺激」と「幸せ」の最大値を引き上げてしまったアスリートはどう生きるか

どーもこんにちは、八木です。
Twitterやってます。
https://twitter.com/___hachimo___

アスリートのセカンドキャリア問題は常に議論されています。
たまーにテレビとかで元プロ野球選手が無職で引越し屋のバイトで食いつないでいる、、、
みたいな悲観的なドキュメンタリーなのかよくわからないものが放送されていて、こういう人もいるのかーって思っています。

でも引っ越し屋の仕事って楽しんでやっている人もいるし、別に悪い仕事ではない。しかし元プロ野球選手にとっては少し刺激が足りないのは事実でしょう。

「刺激」とか「幸せ」ってなんなんでしょうか。
これって完全に相対評価的なものだと思っていて、同じ行動や現象や環境であっても、それを「刺激」だとか「幸せ」だって感じるかどうかって完全にその人次第。その人の中での相対評価になりますよね。

例えば今私が東京ドームでトークショーやっていいよって言われたら興奮するし、すぐお母さんに電話するけど、椎名林檎さんはもうお母さんに電話しないですよね。いつも通りにやる、以上。みたいな。

何か言いたいのかというと「刺激」とか「幸せ」って絶対評価なわけじゃないので、若いうちに「刺激」とか「幸せ」をゴリゴリ知っちゃうと、その最大値が引き上げられていって、ちょっとやそっとのことでは満足しなくなっちゃうよってことです。
5リットル入る器に500ml注いでも大したことないけど、200mlの器に500ml入れたら溢れ出すでしょ。
自分の幸せの器から溢れるほどの幸せを感じたときに涙って出ると思ってて(あぁ、なんか詩人みたいだ)、その器が大きくなってしまえばしまうほど、ちょっとやそっとの刺激や幸せでは満足しなくなってきます。

実は私もその弊害?を受けた一人で、学生時代にスポーツで全国制覇やら国体やら東京選抜うんぬんかんぬんやらがありまして、ときには痺れるほどのトキメキを感じていて、常に交感神経バリ4状態で日々を過ごしているみたいなアグレッシブな状態で前のめりで向こうから返信こないのに連続でLINEおくっちゃう強靭メンタル勘違い男並みに積極的に日常を過ごしていました。

で、まぁなんとなーく就職活動して就職して、そこそこ安定した会社に入ったんですが、、、とても普通でした。
いい意味でも悪い意味でも普通。隣には優しい男の先輩が座っていて、その人はたまーに飲み過ぎて会社遅刻してきて。斜め後ろの席にはキレイだけどめちゃくちゃ仕事遅い女の人がいて今日もマイペースに仕事してて。斜め前にはポイントだけ抑えていい感じに手を抜いて仕事をこなしているチャラそうな先輩がいて。

みんないい人だったけど、正直全然ものたりなかった。

原因は明確でした。周りのせいじゃない。完全に自分のせいです。どこかで昔の刺激的な毎日と比べてしまっていて、「嫌じゃないんだけどつまらんなぁ」と常に思っていました。

きっと並大抵のことじゃ満足しないなと確信した私は、あのときの幸せって、ある意味いまの不幸せを作り出しているのではと思ってきました。おそらくほどよい学生時代を過ごしていてれば、いまの会社員生活にも満足できたはず。でもエキサイティングな学生時代を過ごしたがために、何をやってもなんとなく不満。刺激に慣れてしまったことって不幸せなんじゃないの?
って。

とはいえ、じゃあ10歳に戻れたとして、ほどよい学生生活を過ごすことを選ぶかと言われると、答えはNO。どう考えてもNO and NOです。
結局この運命は自分で選んだものだし、走り出してしまったら、競技生活が終わっても、その先も最後まで走り抜く以外、自分の満足する人生になんてならないんです。と、自分は運命を受け入れたので、自分が満足できるよう飛躍し続けよーっとって思ってます。ガハハ。

ということでアスリート、元体育会系各位、この運命を受け入れて、競技人生が終わっても、自分の人生を走り切りましょう。ガハハ。

では、あでぃおす!

----------------------------------------
アスリート(元アスリート)のキャリア相談します!
(#私も勉強になります!)
Twitterからお問い合わせください〜
https://twitter.com/___hachimo___
----------------------------------------


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?