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友達のカタチ

人生で一番最初に友達になったのは誰?

そう聞かれて、皆さんは答えられるのだろうか。私は、アベユキヨちゃんだ。お兄ちゃん同士が友達だったから、友達になった。でも、大人になる過程のどこかで付き合いが途絶えた。喧嘩別れをしたわけではなく、自然と。

考えてみると、今までにたくさんの友達ができた。特に意識することなく、出会いと別れを繰り返してきたように思う。喧嘩別れをした友達もいるし、ユキヨのように自然にすーっと終わった仲もある。

ほんの数年前までは、昔の友達であっても、連絡を取ろうと思ったら取ればいいと思っていた。でも、いつの間にかそれができると思わない自分に変わっていた。不思議だ。

その変化に気づいたきっかけは、手紙の断捨離だった。

私は、父親の仕事で渡米した10歳、1989年から、友達からもらった手紙を溜め込んでいた。今は年賀状くらいしか貰わないけれど、年賀状も全て。ファイリングをするなどという丁寧なことはしない。ただ、化粧品の紙袋に入れて行き、その袋がいっぱいになったら押入れへ。そうして溜まった近年のものから、1993年に一緒に帰国した日本からアメリカに届いたエアメールと、帰国後アメリカから日本に届いた友達からのエアメール。さらには、アメリカの中学校時代に授業中に友達と交換してた、ノートの切れ端のメモまで! 積年の言葉が膨大な量となって、押入れの奥に鎮座していた。

先月のとある日、もう時効だな、と思った。

思い出を大切にすることはいいことだ。でも、忘れることもいいことだし、思い出は思いだけにして物は処分するのもいいではないか。ただ、もし将来この手紙を本人ではなく(本人は恥ずかしいだけだろうから)成人した子供達に見せたら、素敵なのかもしれない、とも思った。あの頃には戻れないし、今書いたとしても全然違うものになるから、これらの言葉は唯一無二のアートだ。だから、今も付き合いのある友達のは、こそっと保管しておくことにした。

また、最近、友達の学生時代からの友達たちと一緒に飲む機会があった。

約40年の付き合いとなる、総勢10人の友達グループだそうだ。今回は、そのうちの7人が揃った。みんないい大人になって、仕事があり家庭があり、別々の今の生活がある。滅多に集まることがないけれど、集まったら、昔話から今話と話題が尽きないし、女子高生当時のままの仲がそこにある。いいな。最高だな。しあわせな絵だな。優しい席に居合わせられてよかった。

「友達のカタチ」は、人の数だけある。

1対1の付き合いであったり、グループであったりする。また、会う頻度も違うし、話題も違う。長い付き合いの友達もいれば、最近できたばかりの友達もいるだろう。ちなみに社会人になってから友達を作るのは難しいという人が多いが、それだったら無理して作らなくてもいいんじゃないと思う。しかし、友達という距離感の付き合いにならないと知り得ないことがいっぱいあるから、私は友達が好きだ。

そして、先に書いたように気づいてしまった。
もう過去の友達リストに後戻りできなさそうだと。

もちろん、私がそう思っただけで不可能ではない。要は、自分が後戻りしたくなくなったということだ。それならば、新たな友達を作るべきだ。ついでに、自分が求める友達のカタチをしっかりと考えてみる時期なのかもしれない。

人に出会いに出かけよう。同時に、来年も10年後も会いたい友達との縁を繋いでいよう。そうだ。あなたのことが好きです、と本人に伝えよう。あ、友達としてね。LOVE ちゃうで、 LIKE やで、っていうかある意味 LOVE やけど!と焦ってつけ加えたりして。

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