3.11と3.12と

 あの日は、享年61の母親の49日法要から1週間だった。普通に職場で生産業務をしたが、金曜日は決まって終わるのが早く。床に洗剤をぶちまけてデッキブラシで倉庫を掃除していた。その途中、当時主流だった折り畳み式のガラケーを見ると、背面ディスプレイのランプが点滅していた。16時前のことだった。
 福岡県庁が防災メールを配信していて、それが3件届いていた。その中の2件目に、まず津波情報が書かれていた。ただ、今までも数センチで収まったりしているほどのごく小さなものだ。
 その前後はいずれも、震度1を示すもの。ただ、生産中で動いていたからか、感じなかった。そこに貼られていたURLにアクセスする。
 宮城、震度6強。その一報に、直線距離で1000キロ離れた福岡の端にいた自身の、首から頭に掛けて鳥肌が立つような悪寒を覚えた。

 その6年前に起きた、福岡県西方沖地震では震度3だったが、起きたばかりで布団の上に座っていたときに遭遇した。頭では咄嗟の避難行動は判っているが、体は反応しなかった。それでも3で、何事も無かったのは幸いだった。
 職場では、地震の話で持ちきりだった。ネットのニュース速報では、既に津波の動画が流され、職場のPCで再生されていた。自身はPCを宛がわれていなかったため、ガラケーで当時使用していたmixiを開き、情報収集を始めた。
 とにかく、一斉にボイス……つぶやき機能が更新ボタンを押すごとに流れていく。デマらしきものもまとめて、文字通り情報の洪水だった。
 この日は、法事のために来ていた親戚が1週間の滞在を終え、鹿児島に帰ることになっていた。九州新幹線鹿児島ルートの全線開通前日で、翌日から鳥栖以南の特急列車が消滅する。つまり運賃が値上がりするとして、この日に帰ることにしていたと云う。ただ、その鳥栖付近で人身事故が発生し、復旧の目処が立たないことを理由に、博多駅で引き返してきたらしい。その日の夜は、その親戚と過ごした。
 元々テレビを持っていないが、当時使っていたゲーム機のPSP…プレイステーションポータブルにワンセグユニットを装着すれば、ワンセグでテレビ視聴ができる。それも、全てが特番で地震関連だった。大好きなキャベツたっぷりの肉野菜炒めの晩飯を平らげながら、津波の映像を何度も見た。ポポポポーンで有名なACの代替CMにうんざりしつつ、しかし他にBGM代わりになるものも無いからと言われ、一晩中点けていたことを思い出す。これほどまで酷い災害は、パニック映画のようだったが、悲しいかな全て現実だった。
 自身の知り合いは九州にしかいなかったが、他の知り合いは遠方に向けてSNSで色々呼び掛けていた。

 翌日は出勤だったが、土曜日は所謂半ドンと云うやつだ。正確には、夕方前までだから、半分ドンタク(休み)どころか2.5ドンだったが。
 自身は、生産しない日は外勤だった。その途中、自身の当時知り合いだった人が救援物資を募ると言い出した。地元でイベントを開いていたが、有志と共同でチャーターした大型トラックで送ると言う。
 自身はそれに乗っかったが、助っ人が欲しい。そのタイミングで、その1年半前に知り合い、今から3年前までの9年近く、専属関係の付き合いが有ったレイヤーも似たようなことを書いていた。すぐに連絡し、夕方過ぎにイオンモールに買い出しに行くことで決まった。

 親戚はこの日の昼、新調したエアコンの取付工事の立ち会いが済むと、この日ひっそりと全線開業した九州新幹線に乗って帰った。つまり、自由に動ける。
 一度自宅に戻ると、電源を入れたままにされたエアコンを切り、着替え、軽ミニバンにETCカードを挿入し、高速を飛ばして相手の家まで迎えに行き、大きなイオンモールで安いペットボトルの水と、水無しで食えるバランス栄養食、後は乾電池を調達した。1万円をWAONにチャージしてそれから払っていったが、きっかり1万円使った。
 それらを車に乗せて相手先の事務所に持って行き、ひたすら運び込んだ。ただ、逆に心配された。
 自身の場合は、ハッキリ言えば偽善のそれでしかなかった。福岡の端……北九州と云う田舎から、仕事終わりにわざわざ高速を1時間走って福岡市内へ行き、それだけの買い物をして運び込んだ。ただ、自分でも説明できないほど、何かしなければと見えない何かに駆り立てられていたことだけは言える、だからそれが偽善と言って濁す。
 ただ、2ヶ月前から身寄りが無くなったことを知っている身からは、何かに没頭することで穴埋めをしようとしている、それがタイミングとして震災被害の援助だった、と思われていた。……そう云うなら、そうなのだろう。どちらにせよ、褒められた理由ではない。

 この時、オタク界隈はこの軽く炎上していた。ヘタリアと云う作品が有る。国を擬人化した人気作品だが、BL好き……所謂腐女子にも人気だ。そして、日本に対して各国が続々と支援を表明したと云うニュースを受けて、あろう事か「日本受け」と見受けられる妄想ネタに昇華しようとした連中がいて、それに対する苦言が相次いだ。自身の知り合いが苦言を呈していたことで自身も知ることとなった。低年齢層がしでかしたのだろうが、TPOとしては最悪だった。

 被災地から遠く離れた土地で見た3.11は、やはり現実のように思えなかった。だからこそ、やはり何処か他人事のように思える。買えぱ寄付になるらしいから、と報道写真集も何冊も買って読んだ。それも単なる穴埋めの偽善なのだろうか。否……と答えようにも、納得できる答えは無い。
 それから10年。月日が経つのは早いものだ。そして来年も再来年も、また同じ記事を書くのだろう。

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